今日は、ちょっと感情が昂ぶっている状態で、ブログを書いているので、以下はやや感情的で、さらに皮肉な書きぶりを、あえてそのままにしています。ご了承ください。
岡江久美子さんが亡くなった日として記憶されることになってしまった今日23日、1億2千万人もの人が住んでいる先進国である日本が、いまだに67人を母数とした慶應大学病院の「市中感染率相当データ」をありがたがらざるを得ない状況に、改めて愕然とします。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200423/k10012401391000.html
もし慶應大学病院(新宿区)の6%が10倍の誤差を含んでいるとしたら、0.6%ですから、人口1400万人の東京都で、多くて84万人、少なくとも8万4000人が感染していることになります。
緊急事態宣言が出て2週間以上も経つこのタイミングで、こうした「推測」しかできないでいることは、科学技術立国を標榜している国としては、ちょっとあり得ないと思います。政府はもっと正確な市中感染率を知りたいと思わないのでしょうか。何故、感染研の専門家のいうことしか聞かないのでしょうか。モデル地域を決めてさっさと検査してしまえばいいだけなのに。
これを拒んでいるのは何故なのでしょう。このクラスター対策偏重と「CPR検査の拡大が医療崩壊をもたらす」という誤ったプロパガンダが通用しているのは、日本だけです。まずは実態を把握しないと効果的な対策は出てこないのに、この世界の非常識が、あらゆる対策を遅らせてしまうことに感染研も政府も、よ〜く分かっているはずなのですが。少し古いのですが、この対談で感染研の考え方がよくわかります。そして山中さんが、把握したがっているセンスの方が、私たちと同じだなとわかります。ちょっと長い対談ですが、インフルエンザとの比較が多いので、参考になります。
この対談の中で、8割の人は軽症で人に移さない、と尾身氏は語っているのですが、その後、若い人たちが高齢者や地方に移すことが明らかになっているのはご存知の通りです。ジョギングが大丈夫とか、インフルエンザと違ってクラスターでないと感染しないとか、この当時の新型コロナの特徴の「見立て」が、今となっては、かなり間違っていたこともわかる貴重な対談です。
ところで、全国の認可保育園の職員は、食品を扱う保育者は必ず毎月、腸内検査を受けています。私も毎月受けています。検査サンプルを民間の研究所に送付して「陰性」であることを確かめています。そうしないと調乳や授乳、調理業務ができません。これを怠ると、監査で文書指摘を受けます。この腸内検査は、食中毒を予防するためのルールです。これを新型コロナと比較することはできませんが、新型コロナの死亡リスクと食中毒とを比べると、その怖さは明らかです。
それでも、開園前に新型コロナのP CR検査や抗体検査をやることにはならないでしょう。季節性インフルエンザのように、私たちは感染するかワクチンかで、私たちが免疫を獲得するまで、2年くらい辛抱するしかないのでしょう。その過程で出てくる「犠牲」は覚悟してください、と言うのが岡江さんの死が象徴する政府のメッセージです。
私の年齢は60歳です。岡江さんは63歳でした。もし私が陽性だったら?もし8万4000人の一人だったら?みなさんも、同じように考えて他人に移さないようにマスクをしています。それでも保育園に子どもを安心して預けることができますか? 職員15人の誰かが、元気な感染者であっても「まず移すことはない」と言うことを、信じていいのでしょうか。
51人の定員の保育園関係者は、子ども+両親2人+職員15人家族=約200人です。こららの人が何故8万4000人に含まれないと、断言できるのでしょうか? みんなが陰性であることを、知りたいと何故思わないのか不思議です。保育園の生活は「3密の塊」です。子どもと2メートルの距離を取るなんて、できっこありません。授乳も食事も排泄も午睡も、ソーシャルディスタンスは無理です。保育園のことが問題にならないのは、乳児の感染率が低いからでしょうか?
ただ、この市中感染率のまま、5月7日に開園に踏み切るなら、その前に私たち保育園団体は自治体へ検査を要求することになるでしょう。政府・厚労省は「陰性でないと保育はしないでください」と、判断するべきです。これは学校も同じです。もちろん私たち保育者よりも、「閉院」できない病院の医師や看護師、検査技師などの方こそ、先に検査をしてあげるべきなのですが。でも、それが実現することはないのでしょう。補正予算にその態勢もお金も付いていないようだからです。
何故、検査を増やさないのか。それは国がすでにオーバーシュートしている事実を見せたくないからかもしれません。市中感染率を出してしまうと、感染爆発していることが明らかになってしまうからでしょうか。この意図しているか、しないか曖昧な「隠蔽の構造」は、3・11当時、政府と大マスコミが決して「メルトダウン」を認めなかったことと酷似していると思えて仕方ありません。あの時は、スピーディーが放射線量は測定していたのですが、今回は測定さえしようとしません。こんなに多くの人たちが、同じことを望んでいるのに。出口を模索している海外の大都市は、必ずそのデータを取ろうと必死なのに。誰も悉皆調査をして欲しいとは言っていないのです。統計学に耐えうるサンプル調査でいいのに。これでは私たちの税金をどこに使うべきか、効果的な対策に繋がりません。それは外せないとWHOも強調してきたのですが、どうしてなのでしょうか?
今、目の前で起きている「見えない現実」を把握する方法が、毎日、厚労省が大本営発表している感染者数だけだなんて、こんな不幸な政権を抱えている日本を、大和田獏さんに代わって、嘆きたいと思います。最後にもう一度、山中伸弥氏が同じように怒っている別のブログをご紹介します。この週数間の感染数が止まっているように見えるのは、検査数が圧倒的に足りないからではないかと、疑っています。戦いてはなく、共存であるからこそ、実態把握が必要です。想像での実態把握は、あとで曖昧な対策も予算しか、生み出さないでしょう。