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園長の日記

今年度で2回目になるバス遠足

2020/06/24

今年度で2回目になるすいすい組のバス遠足は、私は今回も留守番でしたが、その間、3階の運動スペースでずっとメリーゴーランド遊びをやってました。わいわいグループ9人が40分、らんらん組8人が40分ずつ、緑の丸い円盤状の遊具に2人から4人が乗って、その揺れる感覚を愉しみました。

この「感覚を愉しむ」というのは、実は結構、深い話なんです。ちょっと感じてほしいのですが「愉しむ」と「楽しむ」の違いをリアルに感じることができますか? 「愉しむ」には「味わう」という言い方がしっくりとくる愉快な感覚があります。例えば、わかりやすいかどうかはわかりませんが、ワインを愉しむ、葉巻の香りを愉しむ、コーヒーを愉しむという言い方がありますよね。これと同じ意味合いで、子どもたちは、全身の感覚を全開にして身体の眩暈(めまい)を愉しんでいたのです。

遊びを探求した哲学者ほ何人もいますが、眩暈を遊びの重要な要素だと指摘した人に、ロジェ・カイヨワがいます。彼は遊びの要素には、模倣と偶然と競争と眩暈があると分析しました。保育学のなかで、ホイジンガと並んで必ず学ぶ理論です。この眩暈を味わうと、結果として「酔い」ます。しかし、人間はこれを望む強い欲求を持っています。その証拠は、遊園地やディズニーランドのアトラクションです。これらは、まさしく「眩暈」を味わうための仕掛けです。今日の遊びの名前が「メリーゴーランド」や「コーヒーカップ」という名前になったのも、そうした消息を嗅ぎ分けていたからなのでしょう。

子どもが、なんどもやりたがることには、発達の意味があるのです。何かを身につけているプロセスなんだろうと思えます。眩暈の体験で子どもには何が育つのでしょうか。もしかすると、この問いかけが、間違っているのかもしれません。つまり、眩暈を感じことが何かのための手段ではなく、ヒトが初期設定されている欲求を満たしているのかもしれますせん。その説明に説得力をもたらすエビデンスは、おそらく進化論でしょう。模倣と偶然と競争と眩暈を必要とした700万年にわたる人類進化の過程があったからでしょうから。

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