(写真は木場公園 6月26日)
土曜日の保育で子どもの様子を見ていたら、歩けるようになったMちゃんが自分で移動でき、移動していった先の物や人との出合いを楽しんでいました。時々、私に寄ってきて指を差すので、それに向かって一緒にいきます。たまたま、だったのですが、天井から下がっているゾウさんや、松ぼっくりモビールを指差すので、「あれ見て、ほら面白いよ」と私に教えてくれているかのように感じたので、抱っこしてあげて、それにだんだん近づいていくと、手を伸ばして触りたいような仕草をしたので、体を近づけては離し、近づけては離し、と触れそうで触れない、触れそうで触れない、と遊んでいたら「キャ」っと笑い出しました。遊んでもらっているということが十分に分かっているようです。そして、ついに触りました。とっても嬉しそうです。(本当は、触って遊ぶものではないのですが)
赤ちゃんなりに見ているものについて、こうしたい、という考えがあって、それを私に指差して教えてくれます。私のほうは、当てずっぽうで、こうしたいという意味かな?と想像して対応します。「Mちゃん、そうなの、触ってみたいの、そうか、よ〜し、できるかな、・・・(チョンと触る)あ、揺れたね、面白いね、Mちゃん、触ったら揺れたね、よかったねえ、ねえ。・・ん? もう一回、またやりたいの、よ〜し、ほら、・・(またチョンと触る。そして握ろうとする)。あ、掴んだね、ざらざらしているね」
こんなことを数分繰り返しているうちに、Mちゃんと私の間にモビールという第三項が位置づきました。当分は「あれ」という言葉でしかありませんが、Mちゃんの中に関わりの中でえたイメージが興味の対象として輪郭を持ったことでしょう。こうして言葉を獲得しているのですが、最初から興味があったわけではなく、私という関わりの中で、もう一度自分のものになっていった世界との出合いが成立しています。
このように子どもからみたときの対象を「見る」ということが、それまでは、ただ漠然とあった周囲のいろいろなものの中から、自分の世界の中の対象となったとき、見ることで発見された世界との関わり方が始まったと言えるでしょう。大人もこうして、今までもみていたはずの世界が変わって見えてくることがたくさんあります。子どもたちもそうして毎日、小さな気づきを積み重ねているのですね。