どこにいるか、誰といるかで、その時の子どもの心もちが想像できます。大人もそうでしょうが、その人なりの心地よいところに、人間は落ち着きます。水が高いところから低いところで流れるように、その人にとって心安らぐ場所が最も安定した場所になります。午前10時ごろから入園見学の方を案内していたら、ぐんぐんのRくんがお友達と遊んでいたらお気に入りなのか、ある「おもちゃ」に関して切ない結果になって泣いてしまいました。担任の先生の胸の中でその涙と思いを受け止めてもらいながら、私にも「ぼく、あれで遊びたいんだよ」と訴えていました。
2階のにこにこ組は、パズルに絵本に電車に夢中でした。Hちゃんが、私と見学者にアイスクリームのメニューを持ってきて見せてくれたので、私たちは、「アイスクリーム屋さんなのね。わあ、どれも美味しそうだな、どうしようかな、じゃあ、これくださ〜い」と、お客さんになってあげたら・・「だめ〜」という返事。「え!だめ!?あ、そう。ただ見せてくれただけだったのね、失礼しました・・・」これには、周りにいた先生たちは爆笑でした。
3階の入り口にいくと、KちゃんとSちゃんの二人が背丈ほどもある高い四角のダンボールの陰に座り込んで、仲良く楽しそうに何かしています。私が「あれ、何か楽しそうな声が聞こえてきたぞ、何かな〜?」と言いながら近づくと、にこにこしながら二人がやっていたのは、どの段ボールの外側の紙を毟っていたのでした。そうか、ビリビリと破っていく感触だけでも面白いんだなあ、そうか、そうか。と何も言わずに頷いてあげました。
今日は雨だったので、外には出られませんでしたが、それぞれの子どもたちは、予め用意されたゾーンやそれ以外の心地よい場所や遊びを自分なりに見つけて、自分の世界を広げているように見えます。ある場所や空間が、ある子どもにとってはただの隅っこかもしれませんが、ある子どもにとっては最高のリビングルームになっていたりするのですね。
今日の午後、先生たちが集まって保育の話し合いをしました。子どもの様子から何をしたがっているのか、どう過ごしたいのか、その心の動き(望んでいることや願い)を捉えて、それが叶えられるような環境に再構成していくことの大切さを話し合いました。同じ物や空間や遊具などであっても、子どもの心が感じるものは異なるからです。ただの箒(ほうき)が子どもは「魔女の箒」になります。ただの段ボールが高層ビルになります。その感じているものに共感しながら一緒に生活することが、私たち保育者のスタート地点(起点)なのです。