60歳になって、インドネシアから沖縄の石垣島まで、4700キロの海路を、手作りの船で横断した探検家であり医師でもある関野吉晴さんの言葉を思い出します。2つのメッセージが強く心に残っています。
人類はアフリカから約10万年をかけて地球上のあらゆる場所まで拡散しました。それをグレートジャーニーと言いますが、その5万3000キロの足跡を辿る旅に関野さんは40歳になって挑戦しました。足跡を辿るといっても、豪華客船の旅でも飛行機でも鉄道でも自動車でもない、エンジンのついた動力は一切使わずにカヤックや自転車などの人力だけを使って踏破したのです。
その行き先々に待ち受けていたのは、とてつもない自然でした。熱帯や砂漠、気温マイナス40度のシベリア。標高4000メートルを超えるペルーのアンデス山脈。そのいずれにも、今もそこに適応して住む伝統社会の暮らしがありました。人類は、その厳しい自然環境に適応しながら移動を続け、アフリカから最も遠い、チリにまでたどり着くのです。
◆「今の社会は、待てない社会になっている」
「僕はアマゾンに長く生活したりして、日本人ができないことができるようになっていった。それが『待つ』ということなんですね。要するに、今、待てない社会になっている。半年や一年で、あるいは3ヶ月で成果を出さないといけない社会になってしまった。20年、30年先のことにかけて何かをやることができない」
この発言を受けて、ゴリラ研究の第一人者であり、京大総長で日本学術会議会長の山極壽一さんが、こう対応します。
「待つこと、あきらめない精神は、ものすごく人間的だと思うんですね。ゴリラもチンパンジーも待たないし、あきらめちゃうんですよ。そんなことやったって、無駄じゃんって。経験つめば、前に失敗していればやらないわけですね。それが王道じゃないですか。ところが失敗しても失敗してもあきらめない、こんな精神をなぜ人間は持てたんだろう。それが実は、最終的には新しい技術を手に入れることになったり、発見を通して新しいリソースを使えるようになったりするわけですよね。それって、いつできたんだろう?」
「今は、逆にあきらめやすく、待たないんですよ。それは、人間的な本質をどんどん失いかけているんじゃないか。あきらめない、待つということは、時間を現実の価値観ではない、未来の価値観にかけて使うわけですね。それは単視眼的に見れば、それはムダに見える。でも、それをやり通すことが、ブレークスルーにつながったり、イノベーションにつながったりする。それを人間はずっとやり続けてきたのに、なぜこんなに待てなくなっちゃんたんだろう。こんなにも、あきらめやすくなっちゃんたんだろうって思うんですよね」
関野さんの言葉のもう1つが、これです。
彼は寒冷の地、チリのナバリーノ島に住む先住民ヤマナ族の女性たちと出会って、気付いたと言います。そこは19世紀に持ち込まれた疫病で人口が減ってしまいました。
◆最も遠くまで辿り着いたのは、皮肉にも一番弱い人たちだった
未知の土地にたどり着いたのは、開拓精神に溢れる強い人ではなく、むしろ既存の土地から弾き出された弱い人々だったのではないか、と実際にその人々に会って一緒に暮らすと、思い当たるのだというのです。
「最も遠い場所までたどり着くのですから、一番進取の気鋭に富んだ、好奇心と向上心の強い人のはずなのに、一番弱い人たちだったわけです。パイオニアとしてその土地を支配した人たちは、そこに新しい文化を作って、そこを住めば都にした。そこが住みやすくなると人口が増えてまた弱い人が突き出される。それを繰り返したんじゃないか。それが今、住むところがないほど、広がったということですね」
この2人の対談は、NHKのスイッチインタビューN084「ゴリラから見たヒト 旅から見た日本人」(2015年8月15日放送)です。
国連難民高等弁務官事務所の緒方直子さんは昔、難民を作り出しているのはどうしてかを考えて欲しいと語っていました。今の世界がコロナ社会になって弱い人が「突き出される場所」は、もはや国境さえ来られないとどこかです。もしかしたら、それは病院なのかもしれません。あるいは、診断を受ける機会も得られないまま、後になって超過死亡数にカウントされているのかもしれません。
人類の人権の中で中心をなす「精神の自由」は、「移動の自由」と「集会の自由」に根差すのですが、強い人たちは、この機にその覇権行使をあからさまに開始しました。NHKのスイッチインタビューN084「ゴリラから見たヒト 旅から見た日本人」では、なぜ戦争をするのかも、語りあっています。
肉親の死を傍らで弔う自由も危うい社会になりつつあるなかで、いろいろなことに気づきにくい社会になりそうで、子らの将来を考えると、そっちのことも心配です。