園だより8月号 巻頭言より
三浦春馬さんはALS患者の澤田拓人だったのでしょうか。そんなことを考えても仕方がないのに、彼の訃報に接してから、どうしても2014年1月放送のテレビドラマ「僕のいた時間」(脚本・橋部敦子)のことを思い出してしまいます。人は対人関係や社会的立場を円滑にするために、仮面(ペルソナ)をかぶって生きるようになるのですが、普段はそれが仮面だと無意識に気づかないようにもしています。そんなことはないと、違和感を感じないで生きているなら、それは幸せなことです。
心理学では社会への「適応」が仮面のことでもあると説明されることもあるわけですが、仮面だと感じる人は、生きていて居心地の悪さを感じているからでしょう。たとえば周りに合わせて生きている自分に気づき、それが「仮面をかぶっている自分」に思え、本来の自分があるはずだと「自分探し」をすることが若者に共感をよびました。私は当時の園だよりで、卒園していく子どもたちが、自分らしく過ごせて良かったと、このドラマを引用して祝福しました(写真)
それから6年。彼らは今年中学生になりました。そして今ふりかえると、改めて「ペルソナ」が気になってきます。仮面なら「外せる」と思えますが、自分探しは取ってもまた新たな仮面が出てくるだけであり、それは剥き続けても芯などないラッキョウに似ていています。それがわかると、今度は「目的を持って生きる」という受けのいい仮面が登場しています。今はとにかく我慢しよう、目的を達成するように頑張ろうと。政府も忍耐力などの「社会情動的スキル」の育成を盛んに持ち出すようになりました。
子どもたちが「現在を最もよく生き」それが「未来を創り出す力」にすることが保育の仕事です。子ども同士の関わりの中に、それぞれの思いが生まれます。「そういうことだったのね」とわかることがよくあります。傍らでそれに共感して見守っていると、子ども自らが動き出してくれるものです。「ああ、そうしたかったのね」と気づいたり「あれ、そうきたか、考えたね」と感心したり、「すごい、さすがだな」と感動することも多いです。
そんな子どもの自発性と可能性を感じるとき、私たち大人も勇気づけられます。子どもには真心を持って初めて、子どもから打ち明けてくれる心と出会える時もあります。子どもが持っている力を信じることから、私たちも未来のために前に進むことができるような気がしてくるのです。社会で起きている現象に関心は持ち続けても、決して振り回されないように、毎日を丁寧に生きたいものです。
(6年前の巻頭言より)