私が通った中学校は長崎の浦上天主堂から1キロぐらいのところにあります。爆風で崩れたマリア像は、私にとって戦争の象徴です。今日6日はヒロシマに原爆が投下された日ですが、ナガサキは9日です。私は約10万年の人類のグレートジャーニーが辿り着いた長い長い物語の1つの結末は、ナガサキだと思っています。人類って、なんと愚かなんでしょうか。地球に住んでいる80億の人口のうち、その99%は、その途方もない愚かさを知らないままでしょう。今後はもっと知らないままになるのでしょう。
ヒロシマ・ナガサキは、人類が実際に行った一切の過去の歴史の中で、規模においても手段においても、短期間に本当に実行されてしまった最大で最悪の集団殺戮です。それを実行した国が、世界の民主主義と人権のリーダーだというのも歴史を見れば真っ赤な嘘ですが、その「事実」について、日本人はこの75年間、ぼんやりと霧がかかったような目でしか見ることができませんでした。今でもそうかもしれません。それは日本が行った戦争犯罪への罪悪感によって帳消しにされてきたからでしょう。1つ1つの事実の酷さを冷静に受け止めることがいかに困難なことか。私たち人間の認識は「物語」に沿ってその立場から眺めることしかできないのでしょうか。語り続ける困難さ以上に、どう語るかも合わせて困難な戦後75年を迎えます。