1日24時間の中には、労働時間と私的時間があります。きっと誰にでもあるでしょう。人によっては働くこととそうでない時間になるかもしれませんし、他人に貢献する時間と自分のための時間に区分できるのかもしれません。この2つに時間以外に、必ず、誰にでもあるもう1つの時間として「睡眠の時間」があります。これも仕事柄、睡眠そのものについては、健康とか習慣とかの話として意識することが多いのですが、睡眠というものは、それ以外にも、夢の時間とか無意識の活動時間とか、意識が宇宙に戻っている時間とか、人生の土台を作っている時間とか、いろいろな言い方ができる時間でもあります。子どもにとっての労働とか仕事とかは遊びになるのかもしれませんが、どの時間もそんなに明確に分かれていないのが「子どもの時間」であるかもしれません。
今日の午前中は、健康に関する睡眠、つまり質の高い睡眠を考える時間がありました。永持伸子さんの講師によるオンライン「Mam’s Salon」です。4家庭5人の父母が参加してくださいました。Zoomによる開催は今年度で4回目になりますが、もっとも多い参加をいただきました。すべて地域の方です。
サロンの進行役をやりながら、「面白いなあ」と感じることがあります。それは子どもにとっての質のいい睡眠とは、もちろん、単に時間の長さではなく(例えば昼寝の時間と夜の時間を足して何時間だから大丈夫、などのようなものではなく)、生き物である私たちを包み込んでいる大いなる生態的リズムにどうしたら合わせられるか、とか、そのズレにどうやったら気付けるか、とか、あるいは入眠の前の意識として「これから寝よう」という自覚や、睡眠への安心や信頼が睡眠の深さに影響するといった、いわば「生態学的心理学」のような話になっていることです。それでも、睡眠や自己意識は「見えない」ので、形のあるアフォーダンスのような話とは思えないのですが、でも「睡眠のコツ」の話を聞いていると、まるで「良質な睡眠」という目に見えない「型」があって、それにどうやったらフィットしていけるか、そういう時間のマネジメント術のような話になっていくのです。それが面白かった。心と身体が一致するための秘訣になってもいます。
午後は、今年の運動会をどういうものにするか、私から先生たちへのプレゼンテーションをしました。その話は明日のグログで詳しく紹介するとして、千代田せいが保育園のカリキュラムは、一貫して子どもと家庭の実態から必要なことを計画していくものなのです。ちょうど東大先端研の児玉龍彦さんが先ほどテレビで「走りながら考える」と語っていましが、全く同感です。情報は研究室ではなく社会にある、指標(数値)に振り回されないといった話にも共感しました。ウイルスの特性を正確に理解することからしか、適切な方法を編み出せないことがよくわかります。
この物事への行動様式は、アートと同じです。今年の運動会はそうするつもりなのですが、その先生たちへのプレゼンのあと、海老原商店の海老原さんから、来年に延期された「東京ビエンナーレ」への協力要請を受けました。今月末に海老原商店の外観(駐車場側)が、ちょっと面白いことになります。私たちは自分自身のことも、あまりよくわかっていないのですから、わかったような気になって他人が自分とは異なる行動をしているからといって、否定するのではなく、見えていないものを、もっとよく見ようとした方がいいと思います。今日は全部、「美」について語ったつもりなのですが、その心は明日説明します。