私たちは、この子どもの想像力が作り出している物語に気づくことができるといいのですが、そばにいてもそれがわからないことが多いものです。そばにいる子どものことでさえ、紡ぎ出している「物語」の内容を知ることが難しかったりするのですが、さらに知ることが難しいかもしれないのは、私たち自身が、知らない間に、大きな物語の中の「役者」になっていることです。
◆ライフサイクルの物語
たとえばーー。自分や家族のために努力して生きてきた人たちが、我が子の子育てを終えて、自分の仕事もリタイアしたとき、次世代を担う後継者の育成に力を入れたり、あるいは孫や他人の子どもの教育に「人生最後の情熱」を傾けようとする姿に出会います。
この世代間のバトンタッチもまた、人間だけが見せる「文化」の一つかもしれません。しかも世代から世代へと後戻りしない前進です。それまでの功績や遺産を後世に受け渡していくので「文化の累進的進化」といわれています。
紐を締める工具に「ラチェット」というのがあります。カチャカチャとハンドルを回すと紐がピーンと締まるのですが、手を離しても歯車は戻りません。そこから、後戻りしない前進を「ラチェット効果」といいます。これが人類の文明の前進力になっています。
現役の時は同世代と熾烈な競争を演じるのに、その戦場から退くと、次世代には今の世代を乗り越えていってほしいと願うようになるのは、面白いですね。
ところで、競い合いの舞台から降りて初めて、自分を客席から眺めてみて気づくことがあるのです。「あのガムシャに勉強し、競い合わざるを得なかった市場原理とは、いったい何だったんだろう?」と、今になって冷静さを取り戻すわけです。ただ、もっと早く、その市場から撤退して生きている人も増えている気がします。私たちは経済成長という物語から逃れられる方法を発明しなければなりません。
◆いい絵本やお話が子どもの想像力を豊かにする
文字がまだない時代。旧石器時代から伝わる口承文化には、人生とはなんたるものか、ということを物語で語り明かしてくれます。人生の大先輩が子どもに語り聞かせておきたいと願ったものが、綿々と受け継がれてきたもの。それが昔話でした。人生の最後の情熱が昔話を語ることだったと考えると、その内容に目を凝らしたくなります。
そうだったからこそ、言葉を聞いて意味が分かり始めるころ、昔話を聞かせてもらうことは、再現衝動の中で生きる子どもにとって、紡ぎ出す遊びも豊かにしていたはずです。絵本を読んであげたい理由はこの辺にもあります。
昨日、2歳の子どもたちが取り合ったウサギの話をしましたが、それに投影された子どものイメージがあるはずで、そのイメージは、良質な物語に接することで、また違ったストーリーになっていくのでしょう。子どもたちのウサギが必要になった物語を想像しながら、どんなお話で彼らが生きる世界を用意してあげたらいいのか。それを考えることも「環境を通した保育」に違いないのです。彼らにふさわしい昔話というものがあるかもしれません。