本日、園だより10月号を配布しました。
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(園だより10月号 巻頭言より)
もう10年以上前のことですが、私が厚生労働省の審議会で保育所に必要なカリキュラムについて話したことがあります。そのとき、保育者を育てる短大や大学の養成校では、「養成課程も大事だが、その運用を含めたヒドゥンカリキュムラムが大事じゃないでしょうか」と語ったのですが、あとで議事録をみると「基準カリキュラム」になってしまっていました。私の発音と説明力が悪かったのだと反省した思い出があります。
ヒドゥンカリキュムラムというのは「隠れたカリキュラム」のことです。一見すると、そこにカリキュラムらしきものが見えない。生活と遊びの姿しか見えない。ところが、その姿の背後には私たちの教育的な意図が隠れていて、それは「可視化」しないと明らかにならないものなのです。
大学や短大でも、講義やゼミのその時間だけにカリキュラムがあるのではなく、学校の風土や学生生活のルールや習慣、あるいは教官の態度や姿勢にもカリキュラムが染み込んでいるものなのです。その境目を軽々とこえて作用し合う「学び」をもっと意識したい。例えば子ども主体を大切にしたいと語る教官自体が、学生主体になっていないということがあります。そんな思いをその審議会では語ったのですが、その思いは今も変わりません。この保育を考えるときの土台になっています。
ご存知の通り、このカリキュラム説明会を開こうと思っていた今年の春先、コロナになってしまいました。多くの園が保護者会を開けないまま今に至っていますが、当園では個別の面談などを通じて必要な情報のやりとりはさせていただいています。また私も意識して、その日の出来事に関係することを取り上げて「園長の日記」で説明してきました。保育園は学校のような「教科カリキュラム」ではなく「生活準拠型カリキュラム」です。学校は教科ごとの時間割がありますが、幼児教育にはありません。一人ひとりの学びのつながりはそれぞれです。それでも、どの子にも経験してもらいたいことが生活の中に埋めこまれているように環境を用意してあります。ですから見えないカリキュラムなのです。
しかし、この経験を可視化することは結構むずかしいものです。というのも、一人ひとりの学びのプロセスは異なりますし、育ちの中心にある心情や意欲は数値化できないものだからです。それでも、子どもの育ちには手応えというか、成長の実感というものが確実にあります。その実感を、保護者の皆さんと共有していきたいと思います。10月6、7、8日は保育参観です。ぜひお子さんの育ちと生活の様子をご覧ください。