保護者の皆さんの職場でも、これまで以上の感染防止策の徹底が図られているかもしれませんが、保育園でもこれまで続けてきたことを再確認しています。千代田区によると今年になって、区内の園で職員に患者が発生しているそうです。私たちも改めて気を引き締めていこうと話し合っています。正直なところ、私たちも感染しないかと、ヒタヒタと迫ってくるような不安が強まっています。
連休明けの今日12日(火)、朝から冷え込みも厳しく昼頃には冷たい雨が降った東京ですが、肩を窄めがちな大人と違って、子どもたちは元気いっぱいです。子どもたちの持ち前の明るさが、私たち大人の重たくなりがちな気分を軽やかにしてくれます。その笑顔や無邪気さに救われるような気持ちになるのは、きっと世の中が緊急事態で、感染対策の意識を忘れることも許されず、その意識のコントラストが際立つからなのでしょう。
緊急事態宣言に限らず、外部から追い込まれないと大胆な決断ができない傾向のある日本人ですが、環境問題でも世界の潮流に逆らえないからか、エネルギー政策を大きく変えようとしています。あれだけの事故を起こしても原発を手放そうとしなかったのに、石化燃料から再生エネルギーへの転換を強力に進めることに舵を切りました。海上風力発電の割合を欧州並みの割合にするグリーン政策を始めます。そうでもしないと2050年までに二酸化炭素排出目標を達成できないからです。外圧をうまく利用するという意味では、緊急事態=有事だからと、国会で、特措法や感染症などの改正を議論するとき、平時なら無理なことも通りやすくなるバイアスが生じるんじゃないかと気になります。
強い他者の意向をうまく利用して自己実現を図ろうとする日本人の意識。そうした日本の歴史の真相に迫る作品を残した半藤一利さんが亡くなったというニュース。90歳でした。どこに主体性と責任があるのか判然としないまま物事が決まってしまうのは戦前も今も変わらないと語っていた半藤さん。今の一都三県から、明日には七府県にも緊急事態宣言が追加されることが決まりました。今年になっての一連の政府決断は、世論調査で緊急事態宣言を出すダイミングが「遅い」と思っている国民が半数を超えていたことが決定的だったように見えます。
何につけても、その決定がどうやって決まったのか、科学的な判断というよりも空気が決めているように見えてしまうこと。そのプロセスがすっきりと見えてこないと感じることが多いことも、毎日の生活の中に「不安」を感じてしまう要因になっているのかもしれません。大声ではっきりとモノいう人に人気が高まることも危ないなあと感じます。最初に結論ありき、ではなく本当に議論が深まっていくというプロセスがあることを信じたいと思います。