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園長の日記

未来の社会を創り出す

2021/01/17

◆2つの自由

先日、NHKの「100分で名著」に斎藤幸平さんが出ていました。マルクスの「資本論」を解説していたので、思わず見入ってしまいました。そして、そうか!と思ったこと。それは、なぜ、どんなに豊かになっても労働が楽にならないのか?なぜ人は働き続けなければならないのか?なぜ労働時間は短くならないのか?その理由を、マルクスはすでに資本主義の中の2つの自由に見出していたそうです。

◆生産手段の喪失

それは「強制労働からの自由」と「生産手段からの自由」です。なるほど、と感心しました。と同時にドキッとしました。生産手段からの自由というのは、それは「生産手段の喪失」ということです。私たちは、生きていくために必要な衣類も、食べ物も、住む場所も、全部手に入れる手段としての「生産」を奪われている社会なのだということです。働いてお金を稼いて購入しないと手に入りません。自給自足の生活はできません。

◆強制労働からの自由

強制労働からの自由というのは、奴隷のような労働からは解放されているということです。私たちはある程度、自分で職業を選択しています。番組でも「労働者は自分の労働力を誰に売るか、あくまで自発的に決めることができます」と説明します。しかし、生きていくためには労働力を売り、賃金を得なければなりません。マルクスは資本論でこう書いています。

「自由な労働者は、自分の必要に駆られて労働する。自由な自己決定、すなわち自由の意識やそれと結びついている責任の感情は、自由な労働者を奴隷よりも遥かに優れた労働者にする」。

仕事を失ったら生きていけないとい恐怖、自発的に選んだという自負、職責を全うしなければいけないという責任感。労働者を過酷な労働に縛りつけるのは2つの自由だったというのです。このカラクリから抜け出せないのは、資本とお金の仕組みからきます。

◆母なるガイアから締め出された私たち

この話を聞きながら、私はこう思います。私たちはそもそも地球で発生した生命の子孫なのですが、その母なるガイア(地球)に生息するために家賃を払わなければならなくなった先祖は、つい最近のことなのです。どこかに住むために、資産家でもない限り、みんな家賃を払うために働いています。そうなってしまっているのは、公的空間だった地球という場を、つまり誰のものでもなかった自然の土地が、近代国家の成立の過程で、誰かの私有地か国家のものとして「囲われていった」からで、私たちのどのかの先祖が、そこから追い出されたのです。私たちは国家権力から土地を奪われた先祖の末裔でしかありません。

そうして、生まれついた時から、それが当たり前だと思い込まされているので、自然の土地が、売買できる誰かの私有財産としての価値に置き換えられていったので、生命の保持のために住むところでさえ、労働を売って得た賃金で購入、ないし借りなければ生活できなくなってしまったのです。これって、本当はおかしな話なんだと理解してから、でも歴史的にそうなってしまった経緯を理解しておくことは重要だと思います。

◆不安定は仕組みである資本主義

そう考えてみれば、資本主義という社会はとても不安定な社会だとわかります。生産手段を奪われ、奴隷よりも自発的にせっせと働く勤勉で優秀な労働者。資本家にとってはこんな都合のいい仕組みはありません。確かにコロナ禍でまさか「マスク」も「アルコール」も手に入らなくなるとは思っていませんでした。地震や火事に備えて私たちは「防災訓練」をしているのに、「感染症対策訓練」はやってきませんでした。保育園でも毎月、腸内検査をしてそれが陰性でないと調乳や調理はできません。検査会社は自由に保育園が選びます。食中毒の予防からです。コロナ感染対策も同様にすればいいだけの話です。もっと現場から知恵をあげて、それにみあった法律の中で対処するべきです。ことを大袈裟にしておきながら肝心な対策をしないように見えてしょうがないです。話を戻しましょう。

生産手段を民主的に取りもどす

そうすると、将来の持続可能な社会のためには「生産手段」を民主的に取り戻し管理することが必要となります。政府や大企業だけに、その方針を任せておくわけにはいきません。経済を回すために「価値」を生み出すための経済のあり方を見直する必要が出てきました。本当に生活に必要な「使用価値」だけを生産する働き方に変えないといけません。

使用価値を生む仕事とは、起こりうる危機に備えたものを優先させます。例えばコロナ禍で言えば「新しい生活様式」に必要なものになります。そこにはもちろん医療の充実も含まれます。仕事はエッセンシャルワークを柱にすえます。創造的な仕事になるように分業的な働き方を求めません。生産性の向上による競争をやめるために、環境保護のアジェンダと連動させた大胆な政策を導入します。そして衣食住に必要な生産と暮らしの場をできるだけ接近させることにアイデアを出しましょう。

労働時間の短縮を大胆に進める

ちょうどフィンランドが労働時間を週30時間に短縮しようとしています。日本でもその選択制を導入しようという議論が始まりました。私の考えは、EUが追求しているように、子育てと仕事を両立させるために、週30時間だけ保育園に預けるぐらいがいいでしょう。保育者も週30時間勤務に変えます。都市部の職住分離をテレワークが補いながら、勤務時間を削減します。人流の少ない地方はコロナ禍のリスクも低いので、自動運転革命によって、高齢になって都市回帰を求めなくてもニュータウンに住み続けることが可能になるようにします。

都市と農地が接近し地産地消の割合を増進させる

社会を再生可能で持続可能なエネルギー構造に転換させる必要がありますが、大規模な分配方式ではなくて、自立した地域を多元化させます。ローカルな場所から実践する。政府や大企業を動かそうとしないで、市民が小さなモデルを勝手に作り始めるといいんです。小さくても数が増えること、政党がこうした未来型の政策を取り入れるようになるでしょう、きっと環境問題がそれを後押しするようになると思います。

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