二十四節気でいう大寒の今日1月20日(水)、感心する子どもたちの姿を目撃しました。3階の幼児フロアで朝のお集まりが始まろうとしているときのことです。私が運動遊びを見守った後で、お集まりが始まろうとしていたとき、年長のKくんが年少のSくんに「Sくんはお当番だよ、お集まりが始まるよ」と声をかけていました。すると高い塔がまだ完成していないSくんは「もうちょっと、待って。これをやったら・・・」ともう少し遊びを続けます。それを受けてSくんはKくんの積み木づくりを手伝います。その手伝い方に感心したのです。
それは完成させることを手伝いながらも自分で遊びを区切り方を促すかのように、塔の頂上に乗せる最後の三角の積み木は「これ」と渡してあげていました(上の写真)。まるで私たち保育士がよくやるのですが、最後の美味しいところは自分でやって達成感を感じるように援助するということと同じだったのです。
例えば「衣服の着脱」という自立を育てるとき、靴をはく、ズボンをはく、などまだ全部を自分でできない頃には、できないところは手伝っても、最後は自分で「やった」「やれた」という気持ちになるような援助を心がけます。できた!食べた!やれた!という気持ち(心情)を持って終えることで、また自分でやろう!という意欲につながっていくからです。
年下の子どもの気持ちに共感し、その気持ちを理解しながら、援助していました。特にあれこれと言葉で言うことはありません。これが「見守る保育」の基本です。このように年長さんの年下の子どもへのお手伝いの姿を見ると、家庭も含めてこれまでの異年齢生活の賜物だなあ、としみじみと思いました。子育てにおいて大人も見習ってほしいものです。
お集まりが始まって出席を取るときも感心することがありました。その日の「出欠をとる」のは、数を確認するのが目的ではありません。お休みのお友だちの顔を思い出し、その子のことを思い浮かべ「どうしているのかな」と想像することが「出欠をとる」ことの目的です。
各グループの年長さんが「誰と誰がお休みだから何人です」のような内容を報告するのですが、そのやりとりを見ていると「お楽しみ会」でやった劇遊びのセリフを思い出しました。劇遊びで培った集団の中で役割を持った会話パターンを、このような集まりの中に応用しているかのように見えました。
小学校ではこのような場面が増えます。「他人が喋っている時にはそれを聞くようにする」ということが必要になります。お集まりは年長さんのその様子を年中、年少のお友達も身近にする機会にもなっています。気づきにくい集団の育ちですが、とても大切な大きな成長です。