子どもが熱中して遊んでいる時、共通するいくつかの要素が見えてきます。1つは競争や勝ち負けです。鬼ごっこや、転がしドッチをしたり、ボードゲームで遊んだり、将棋を指したり、オセロを楽しんだりしている時、勝ち負けが遊びを楽しくさせています。ルールがあってそれを守ったり、新たに作ったりしながら、勝敗の行方を競います。
次によく見かけるのは、心地よい「動き」です。子どもは身体を動かすことが大好きで、性格や特性にもよりますが、じっとしているよりも、手足を動かしたり、触ってみたり、運動したりする感覚的な刺激を求めます。ブランコや遊園地の乗り物がどうして人気なのか、身体的な心地よさがあるからでしょう。
さらに、どうなるかわからないこと、AになるかBになるか、やってみないと分からないような事に興味を持ちます。「じゃんけんしよう」と言えば、大抵やります。分かれ道で「どっちにする?」と決めかねるとき、「・・カミサマノユウトオリ」などと判断を天に任せたり、サイコロを使った双六やボードゲームなど、偶然の成り行きや結果を積極的に受け入れます。
そして、この3つの遊びの要素よりも、もっと根底的で、遊びに限らず生活全般のなかで多く見られるのが「模倣」です。人がやっていることを真似したり、「物」や「出来事」と同じように、似ているように作ったりします。見たものややったこと、つまり「体験」したモノやコトを再現させよう、繰り返してみようとします。
この4つの要素が絡み合って、子どもの遊びは展開されています。ここまでは、ロジェ・カイヨワが『遊びと人間』の中で整理していますが、私はこの4つが並列的に等価なものではなくて、人間にとって「模倣」がより基本的なもので、人間を人間たらしめているものに見えます。
なぜなら人間と動物の違いがこの模倣にあったり、高度な文化を作り上げている理由になっているものだからです。そう、昨日まで語ってきたリプレゼンテーション(表象)につながる働きだからです。