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園長の日記

「励まし」より「共感」を、「教育」より「養護」を

2021/03/30

(本日30日に配布した園だより4月号 巻頭言より)

入園、進級おめでとうございます。

最近、スポーツ選手など「自分が頑張っている姿を見てもらうことで、勇気を与えることになれば嬉しいです」という趣旨のコメントをすることが増えました。コロナ禍で「前向きな気持ち」を出してほしいという励ましの気持ちです。ただ併せて、私たちが想像力を持ちたいのは、それを見て「ああ(自分は)ダメだ」と気落ちしてしまう方もいる、という事実です。人はそんなに頑張れないし、うまくやれないし、人が成功する姿が辛いものになる人もいます。がんばっている姿は人ぞれぞれです。「できないし、困っている、失敗した」という話に「自分も同じだ」と救われ、励まされることも多いのです。私も昔、先輩の「私もそうだったんだよ」と、上手くいかなかった話に救われた体験があります。

目的に向かって「晴天を衝く」(NHK大河ドラマ)ような輝かしい姿に接すると、清々しい気持ちになり憧れることもあるでしょう。ところが、誰もが「自分も」と心が動き出すようなものではありません。遠すぎるもの、高すぎるものは「我が事」になりにくい人もいます。何に共感するか、誰からエンパワーされるか、感化されやすい相手も違います。何が違うのでしょうか。何が大事なのでしょうか。

子どもはどうでしょう? 実は子どもはいつも、親の本当の「地の心」に触れたいと思っています。励ましたり、諭したり、指示したりする姿だけを子どもに見せていませんか。それだけだと、子どもの「まっすぐな心」はげんなりしているかもしれません。子どもは励まされたいと思って生きていません。励ましは「(自分は)いつも励まされないといけない自分なんだ」と無意識が学んでしまいます。ちょっとやらせて、できたら褒める。一見正しいように見える子育てですが、努力しないと認められない自分でしかないと感じているかもしれません。それでは本当の自信は育ちません。条件付きの承認は無条件の承認よりも、心に届きません。

本当は気落ちしたり、困ったり、不安だったりする気持ちを「わかってほしい」と共感してもらいたいことが多いものです。もちろん嬉しい気持ちも。「ボクのこと、わかってもらえている」「わたしのこと、知ってくれている」という実感から、子どもは一歩を自ら踏み出すエネルギーが自然と沸き起こるのです。それが心の仕組みです。そこで私は「がんばって」とあまりいいません。言うときは「がんばってるね」です。子どもはいつだって、大人が思う以上に、いつだって、がんばって生きているからです。教育よりも養護が先なのです。

何をもって、その人が自ら一歩踏み出せるようになるか。それは人によって大きく違います。保育の要諦はここにあります。年度の初めは、こんな「初心」を思い起こすことから始まります。

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