美と表現の関係を考えたくて、ダンサー青木尚哉さんと海老原義也さんの対談を聞いてきました。そして青木さんの「探求」の奥深さに驚きました。あのダンスは、これだけの努力と実践の中から編み出されているものなのか、という凄さに改めて深い感慨を覚えたのでした。
この感慨は「そのよさがわからないのは私のせい」だと、改めて思い致すようなことなのです。そういう世界は確かにあります。こちらがわかっていない、気づけていない、感じることができない、そんな美の世界かもしれません。食べ物に例えると、わかる人にはわかるワインの味、極めた人にはわかる野菜の味など、その手の「通の世界」の美に近いものです。まあ、私の思い込みかもしれませんが、探求され続けている青木さんの身体への迫り方には、それまで考え抜かれた技法の洗練があることに気付かされると、それはもう「納得せざるをえない重み」のようなものが迫ってきます。プロって必ず、こういうすごい深みを持っているものなんですね、やっぱり。
青木さんが開発したポイントワークは、門下生へ伝えるために体の動かし方をデジタル化したものでした。自らの身体の主要な場所40箇所に通し番号が振られ、そのポイントで形作られる点や線や面を自己意識することで、イメージ通りの動きを自らが意識化しているのです。しかも自らの身体とそれを取り巻く空間とも一体化したような身体感覚を獲得しながら、新しい自己意識と世界とのつながり具合さえも更新しながら舞う。なんと斬新なダンスでしょう。こんな実践理論をお聞きすると、これはもう生き方のポイントワークへと応用したくなりました。その前に、保育の地平をポイントワークの発想で再構築することができるのかもしれないと、ちょっとワクワクしたのでした。