昨日でも明日でもない間(あわい)の光景。そのもう一つの、別のアーティストによる作品群もまた、海老原商店に溶け込んでいるような展示になっていました。作者の林俊さんからは、かなり長い時間、作品の背景や意図などの説明を聞かせてもらいました。
こちらも秋山さんと同様にボンベが登場します。でも本物のボンベもあります。林さんは実家がガス屋さんだったそうで、幼少の頃から、ボンベを運ぶ台車に乗せてもらって遊んでいたそうな。ボンベとボンベがぶつかる音を毎日聞いて育った林少年は、それが運ばれ、管で繋がれ、ボンベの中身と使う場所とのつながり具合のようなものが作品のモチーフになっていった、のかもしれません。
林さんの話を聞いているうちに、私たちは誰もが自分と他者を隔てている境目を、無意識のうちに持つようになるが、それが身体の皮膚が境目であるという思い込みがどこから来たののだろう、と勝手なことを想像し始めてしまった。どうも人によってその境目は「扉のこちら側と向こう側」のような関係になっていて、その境目と感じるイメージも、時間を遡っていくと、かなり個人的な世界の深みにハマっていってしまいそうなイメージがわきおこってくる。
林さんには、その境目に美しさを感じるようで、ボンベが錆びてしまっている箇所だったり、朽ちて壊れた破片が落ちてしまったり、割れてしまったりしたものを、もう一度気持ちのいい「かたち」にコラージュしてしまう。作品は扉が壊れまた再生されている途上のようなあわいを、固定していました。というわけで、海老原商店そのものが、コラージュされるキャンパス自体になっているので、作品と展示会場の境目がわからない。そこが面白い。
昨年秋、歯科の山本先生にミニ講座を開いてもらった、1階の畳の和室が、床が剥がされて、まるで工事中かのような風景になっていたのですが、それが作品でした。林さんは、ステレオタイプ化された社会問題の「枠」ではなく、あくまでも個人的な実存の問題としての「枠」をモチーフにしているように感じました。
2階にあがると、壁に飾られたオブジェがしつらえてあって、それも壁と融合しているのですが、その美しさのままでいてほしい空間に仕上がっているのでした。