子どもが何かを気づいて、ちょうどそばにいた私にに「ほら、みて」って、差し出された手。「あ〜あ」と聞こえた、その時の声。ぐんぐんのKちゃんは何を私と共有したかったのでしょう。それはサインペンでお絵描きをした直後のことでした。「手についちゃったから、どうしよう?」のように見えるのですが、ちょっと違っていたような気がしたのです。
「お絵描き」といっても、まだ月齢21か月の赤ちゃんと呼んでもおかしくない子ですから、サインペン自体もどう持てばいいのかも試行錯誤といった感じです。「描く」ということも、なんとなくこうかな?と思いながら、いろんなことを試しています。紙の上に描くという前提もないので、テーブルやビニールクロスの上に、ペンを叩くように動かしたり、ペンと圧力の加減も知りません。紙の上に線らしきものが残ること、いろんな色があること、いろんなことが初めてかもしれません。
いつの間にか、赤い色だけが手についているところを見ると、赤が好きなだったのかな?と想像したりします。そして、それが手についたことも、面白い発見だったのではないでしょうか。だから「ほら、みて」というように、私に伝えたかったのかもしれません。すると、描かれた紙を持って「ほら、みて」と差し出されたら、ほとんどの大人は、きっと「あら、お絵描きしたのね。上手ねえ」なんて返事していたことでしょう。それが紙ではなく、たまたま手だったら、その手だって「あら、手にお絵描きできたのねえ」なんて返事してあげてもいいのかもしれませんね。私たちは、子どもの気づきや感動していることを、こうやって受け止めそこねていることがあるのかもしれません。
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大人の思い込みを一旦外して、子どもの心の動きを想像してあげるためには、私たちの柔軟な発想が必要なようです。またそれは、見守る保育であり、保育者が行う養護(ケア)の働きだったり、子どもがモノをケアすることだったり、子どものアートの営みと同じであることを思い起こすことが大事だったのでした。