今日12日(月)から東京都は4回目の緊急事態宣言下に入りました。東京都から千代田区を経由して保育園へ届いた通知の内容は、一言でいうと「基本的にこれまで通りの感染対策を怠りなく!」というものです。それへのコメントは差し控えるとして、私もワクチン接種1回目を受けて左腕が上がらない状態ですが、熱も出ず問題なく出勤できました。こちらについてコメントするなら「過去3回の緊急事態宣言と違うのはワクチン接種をして迎えたが、果たしてデルタ株やラムダ株に効くのかな、という不安は拭えない」ということになります。
もうすぐ梅雨が明けそうですが、今週末に予定していた屋形船乗船会が延期になってもオリンピックはやるのですから、9月には実現させるつもりでいます。多くの人がデータなき空気によるリスク判断に違和感や不気味さを感じていても、曖昧に前に進んでいく日本独特の空気は、やっぱり気持ち悪いものです。声高に煽る人も、背を低くして邁進する人も、命を人質に居丈高に諭す人も、いずれも結論ありきの姿勢ばかりなので、他者への信頼と対話を基本とする「保育の原理」とは、水と油だなあ、と感じています。
保育は「本当はどうなんだろう」(DND=佐伯胖)を常に抱えながら、他者と向かい合います。他者とは子どもであり、また大人であり、さらに自分でもあります。子ども理解も自己評価(自己のと対話)も「本当はどうなんだろう」が深いかどうかが、保育の質の差になっていくからです。最初に結論ありきの言説がつまらないのは、本当の気づきや発見に乏しいからです。子どもとの対話が楽しいのは、気づきや発見がたくさんあるからで、子どもの姿にしても子どもの言葉にしても、対話を重ねることで、そこに新しい出会いが生じるから面白いのです。その事例がクラスブログに出てくるので楽しいですね。
取材も深いほどいい意味で裏切られていたものですが、どうも今はストーリーが裏に透けて見えます。「本当はどうなんだろう」がいろんなところで浅くなっている気がします。