今回、納涼会をどうするか悩みました。今、甲子園で熱い戦いが繰り広げられていますが、昨年は出場できずに無念な思いを噛み締めた高校生たちの姿を思い出し、大人にとっては何年かの我慢かもしれませんが、子どもたちにとっての1年は、一生のうちで1回しかない一年だったりします。それは園児も同じはず。この頃の1年は、本当にかけがえのない一年なのです。それを大人の都合で簡単に手放していいのだろうか。でも未曾有のコロナ禍が進行しているし、どう判断したらいいのだろう。そして決め手になったのは「誰がみても濃厚接触者ゼロ」状態を作り出すこと。そのための工夫をしながら、実施することにしました。
保育にとって大事なのは、本当は行事やイベントではありません。何か名前のついた活動や行事だけでは、子どもの根っこは育ちません。日常の毎日の、地味な生活の積み重ねが方がよっぽど大事なのは間違いありません。ですから行事の一つや二つがなくなったとしても、それほど大きな喪失にはなりません。しかし、それでも子ども達が楽しみにしている思いを考えると、そう簡単に諦めるわけにはいかないと考えました。
話はコロナとの戦いになりますが、この長期戦とどう向き合うか。保育の本質が日常にあるからこそ、地味な毎日にコロナなの影響を与えたくありません。それでも無用な自粛になっているものはないか、きちんと点検しながら、保育を進めたいと思います。この2年半を振り返ると、コロナ禍がなんと長いことか、驚きます。
「地域を園庭に!」を合言葉のようにして開園したのが2年前の春。園庭はなくたって、地域があるじゃないかと、子どもたちの生活圏を地域へ広げてきました。まずは園の前を流れる神田川。これを地域の交通インフラにしようとしている「千代田リバーサイド・プロジェクト」と連携をはかり、一年目の納涼会は屋形船で隅田川へ出てもらい東京スカイツリーが見える吾妻橋までの往復を楽しみました。
また園の前を走っているのは幹線道路ですから、バスを借り切って「木場公園」や「しながわ水族館」「北の丸公園」などへ、園ではできない運動や生き物観察を楽しみに出かけました。さらに地下鉄や電車も近くを走っているので、これも活用する計画を立て、さあ、これから近くの保育園とも交流だ!と張り切っていた頃へ、やってきたのはコロナウイルス感染という、目に見えない妨害者です。開園2年目はこれとの戦いを象徴する「閉園」で始まったわけですが、その戦いは1年半以上にもなり、開園してからこれまでの時間の半分以上にもなってしまいました。
園庭がなくても地域がある、いろんな人たちと出会い、交流を深めたい。この方針に変わりはありません。でも保育園や小学校、学童、高校生、大学生など、相手を必要とする交流は今、いかにもやりにくい。人数と時間を制限しながらやるしかありません。コロナ禍は、こうして人と人の接近と交流を阻むかのように、なんとも身動きの取りずらい状況に引きずり込んでしまいます。身体性と物理的接触が極めて大事な子育てに、ソーシャル・ディスタンスを取るのは致命的なことなのですが、そうならないように、感染対策を講じ、活用できるリモートは利用しながら、必要なことは淡々と実施していこうと思います。
本日16日、感染情報の報告についてお願いをさせてもらいました。皆さん、くれぐれも感染なさらないようにお気をつけください。