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園長の日記

実習生から学ぶという意味

2021/09/11

私たちの仕事、つまり保育は国家が決めた保育士の資格を持っていないと就いてはいけません。その保育士の資格を取得するためには大学や短大、専門学校などの「保育士養成校」で最低2年間の履修が必要です。千代田せいが保育園の先生たちも全員、その資格を持っているのはいうまでもありません。そのカリキュラムを「保育士養成課程」といい、その中核に「保育実習」が位置づいています。保育所実習は履修期間に2回あります。その実習生が授業のない8月〜9月や2月の年度末に来ることが多いのです。実習生は毎日、その目的を持って臨み、実習日誌を書きます。保育は具体的な事例で考えることが基本です。日誌にも事例を考察する欄が必ずあって、昼間に担任と語り合った内容を踏まえてまとめます。それを読んでいると、保育に対する思い込み、刷り込みが必ずあって、それは学んでいる学生でさえそうなので、一般の社会でも偏った考えが広がっているんだろうなあ、と想像されます。

よくあるのは、大人が子どもに「こうあってほしいということをどうやったら理解させることができるか、伝えることができるか、身に付けられるか、できるようになるか」その方法を学ぼうとする発想です。これは「やらせる保育」という大人だけが主体となった保育として、幼稚園教育要領もこども園教育・保育要領も、そして保育所保育指針も明確に否定している保育観です。一般の社会教育や社員教育ではこの教育観が一般的ですし、それで「大抵は」構いません。特定の知識と技能を効率的に身につけるには、その方法を軸に考えればいいからです。

ところが、乳幼児保育や教育は、心の豊かさ、意欲、自分から学びに向かう力、人間性などを育てることを最も大切にしなければなりません。これを「心情・意欲・態度が育つ中で、よりよい生活を営もうとする、学びに向かう力、人間性等」という言葉で、幼稚園教育要領もこども園教育・保育要領も、そして保育所保育指針でも明記されています。

実習生には、オリエンテーションの時から、こんな話からすることにしています。

保育園って、生活の場なんですよ。園生活にいっぽ足を踏み入れた時からすでに保育は始まっています。どのように「言葉かけ」をしたらいいのか、なんていう業界用語はいらないんですよ。ちょっと考えてみてください。あたなの生活の中で、最近「言葉がけ」という言葉を使ったことがありますか? そうでしょ、ないでしょ。それを使うときは、例えば喧嘩した後とか、気まずい関係になった後とか、そっとしてあげているときに、どんな言葉をかけてあげたらいいのか、悩みました、っていう状況の時ぐらいじゃないですか。そんな緊張関係で保育や子育てを考えること自体が、もう歪んだ生活だと気づいてくださいね。・・・

この感覚と繋がっているのですが、子どもをまとめる力、全ての子どもを見渡して見逃さないように気を配る力、死角をなくす保育、先生の方へ惹きつける力、先生の話を一斉に聞くことができる行儀良さ・・・これらはみんな一斉授業、集団を統(す)べる力、このような大人主導型教育のなごりなのです。私たち大人も、日本ではそうした授業風景が「当たり前」で「常識」だと思い込まされているので、仕方ありません。今の学生もそれが当たり前ということは、いまだに日本の学校教育が「個別最適な学び」になっていないからでしょう。

保育は子どもの考えや思いをまず理解しようとするところから始まり、その子ども理解から、「じゃあ、こんな遊びをしたり、こんな活動ができたら、その体験がいい経験になっていくんじゃないかしら」と思いつくことが、あなたの保育の構想力であり、あなたの指導案になるんですよ、という話になっていきます。その時、こんなのがいいんじゃないかな、という探求は、大人も答えを知らないことが多くていいのです。子どもも大人も一緒に探究する生活の主体者なのです。これをオープンエンドの学び、いいます。一般の社会人、会社員、生活者、研究者が行っている学びです。学校教育だけが答えのあるエンドクローズドな学びの傾向が強いのです。

子どもは教える対象であり大人が教える立場にあるという思い込み、子どもは未熟で大人は成熟しているという思い込み、そうではないと学び直すことが、大人に求めらているのです。これが乳幼児教育の基本になっているのに、あまり理解されていません。この基本を実際の保育を通じて感じ取ってもらい、考察を深めることが保育実習のスタート地点(起点)になります。

そのスタートラインに実習生と共に先生と子どもが並んだ時、私たちは実習生の気づきから学ぶことがあるなあ、と実感するのです。例えば今日も「◯◯ちゃんと◯◯ちゃんなら、おもちゃの取り合いになっても、大丈夫だから少し見守っていました。いいですよね」という実習生の学びや判断に感心したというエピソードがありました。担任の方が「そう言われて、私たちだって、ああそうかって、気づいて。正直、焦っちゃいますよね」と嬉しそうでした。

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