私が保育士の資格を取るときに、「素話」の練習をしたことを思い出しました。素話というのは、絵本や紙芝居などのように、子どもに見せる視覚情報はなく、保育士がただ、言葉でお話をしてあげるものです。今日3階の幼児の夕方のお集まりで、年中の担任の内山先生が素話をしていました。最近、あまり見かけなくなった光景です。子どもたちは「言葉」だけで、頭の中にイメージを思い描きます。
「おばあさんを食べてやろうと思っていた狼は、おばあさんが作ってくれたお餅を食べて、お腹がこんなに大きく膨れて、ポンポコリンになってしまいました」
「あはは」と子どもたちが笑って、愉快そうです。
もしかすると、最近の子どもたちは、こんな経験は、あまりできていないかもしれない、と思い返しました。身の回りには映像や動画が溢れていて、明らかに視覚優位の情報空間です。子どもたちにとって、音としての言葉だけで、目に見えないものを思い描けることは、想像力を育んでいることになります。何かをイメージする力は、物語の力によって、それまでに経験した「物」「人」「空間」「景色」を頭の中で組み合わせて、一つの「場面」を構成しているはずです。その編集力が聞き手の想像力になっているでしょう。
子どもたちにとっての物語は、これまでにどこかで聞いたり、みたりした登場人物たちです。おばあさんや、オオカミや、お餅や・・・それが大袈裟に極端に描かれていて、現実にはありえない空想世界のお話ですが、そうした世界が大好きで、やすやすとその世界に入り込んでしまう子どもたちです。
私たちは子どもたちに環境を用意して、そこで熱中して、没頭して遊んで欲しいと願っています。その環境は空間、物、人などで構成された場、状況なのですが、その場や状況は、目に見えない空想世界、物語の世界もあるということになります。環境を通した保育、という言い方を私たちはよくするのですが、大人が誘う物語の世界は、目に見えないけれども、心の栄養がいっぱい詰まった子どもたちの仮想空間なのです。