(写真はお手伝い保育の様子)
私たち保育者は、保育における起点(スタートポイント)を持っています。それは一般に「子ども理解」という言葉で位置づけられているのですが、その理解は何を目指しているのかというと、別の言葉では「子どもの実態」ということになります。実態という言葉を使うのは、目に見える姿だけではなく、目に見えない「子どもの心」まで含めた、その子の本当の姿の理解に迫ろうという意味があるからです。
今日は、その「実態」に迫ることができる場面がありました。午後2時ごろから30分ごろまで、年長のすいすいの子どもたちが話し合いをしました。子どもたちから真剣な意見が語られました。その内容を聞いていると、「そんな思いを持っていたんだなあ」「友達のことをよくわかっているなあ」と感心します。そこで大切なことを確認できました。それは子ども理解における5つの視点の中の一つです。
5つの視点というのは、私の長い保育経験の中で気づきながら整理してきたもので、どこかに書いてあるものではありません。ただ、私の「保育者論」では、この説明を学生にしてきました。その一つとは、「子ども関係」なのですが、これは単に大人との関係から対比的に捉えたものではなく、子ども同士の関係をよりリアルに捉えるための視点です。
今日の子どもたちの話し合いからも「子ども関係」が見えてきました。子どもの理解は、それぞれの子どもを切り離して捉えることはできません。園生活というのは家庭生活とは異なり、集団の中で、その子のありようは、周りの子どもたちとの関係によって大きく左右されます。仲間関係の中で、どのように位置づいているのか、周りの子どもたちからどのように受け止められているのか、そうしたことを捉えることが、子ども理解には欠かせない視点の一つなのです。
子どもは、自分の気持ちを無邪気に言葉に表している頃は、ほとんどがその場で終わっていき、人間関係が拗れることもないのですが、自分自身へのメタ認知能力が育ってくると、つまり自分がどう見られているかを自覚できるようになってくると、子ども同士もある種の評価をしあうようになってきます。それは普段の生活の積み重ねからくるものなので、何かの機会がないと、あまり表面化されることもないのですが、最近はそれが表面化されることがよくあります。その機会とは、失敗や衝突です。喧嘩して、怒ったり、泣いたりしながらも、また気持ちを立て直して歩んでいきます。
子どもたちは、小さい時から、自分自身でその「つらさ」を味わいながら生活しているのですが、大人には真似できないほど、逞しいものです。その力強さを子どもは持っていて、失敗や衝突に負けない心の復元力を持っています。その時、心の支えとなっている友達は誰なのか、そうした友達をどうやったら作ることができるか、そんな見方が子ども理解には、どうしても必要なのです。
今日の話し合いでは、友達をみんなが責めたくなった時、相手が傷つくことがあることを、みんな経験していたようで「それは嫌だ」と感じていました。でも、その感情を抑えることができない、我慢できない時、子どもたちはどうしたら良いのかわからなくなるようです。今日の話し合いでは、担任の話から子どもたちは「困った時には誰かに助けてもらえばいいんだ」ということや、「助けてくれるのは友達の場合もある」ということに気づいたようです。なんと素晴らしい気づきでしょう。
こんな話し合いの後、ちょっと晴れ晴れとした顔をして「漢字書きたい」と、私のところに頼みに来ました。この気持ちの切り替えや心の健康さに、私は「なんてすごい子たちだろう」と思い、子どもの素晴らしさに接した瞬間でした。