7人の子どもたちが、ずらりと自分の椅子に座っています。そして何かが始まることを、この子たちは予想しています。そして先生との「会話」がしっかり成立しています。このように言葉による意味のやりとりから、動画は始まります。
先生「ぐんぐんさん、そろった?」子ども「うん」先生「♪もう いい かい?」子ども「♪もう いい よ〜」
そして「ぐんぐんさん、今日はお歌うたってみようかな、いっぱい。何のお歌がいいですか?」子ども「かえる」「アンパンマン」「かえるのうた〜」という、何人もの声によるリクエスト。この歌がいいよう〜と、先生に駆け寄ってきてアピールする子もいますね。
ここで注目してほしいのは、かえるやアンパンマンをすでに演じ始めている子がいるのです。地面に四つ這いになったり、ぴょんぴょん飛び跳ねています。言葉で、イメージが喚起されて、頭の中には、これまでその歌を歌ってきた時に、きっとカエルやアンパンマンになりきって遊んできたことを、その子が教えてくれます。歌をうたうことも、音楽に合わせて、つもり遊びをすることも、踊ることも、子どもは別に区別しながら遊んでいるわけではないことがわかりますね。
リズムに合わせて、手や膝をたたき、歌っています。とっても上手です。音程もあっているので、すごいですね。もし、近い将来(SF映画でよくあるように)子どもの頭の中に思い描いている風景を三次元スクリーンか何かに投影できるようになったら、アンパンマンを歌いながら、7人がそれぞれ何を想像しているか、みてみたいものです。
音楽の持つ力は大きく、体に染み込んでいる曲が、ある瞬間に体を動かします。たとえば、アンパンマンの最後、「君は優しい、ヒーローさあ〜」ジャン、ジャンに合わせて「あ〜ん、パンチ」風に右手を突き上げる子がいます。ちゃんとタイミングがあっていますね。歌い終わると「イエェ〜イ、イエェ〜イ」と飛び跳ねて楽しそう!何かをやり遂げたような雰囲気で歌い終わるというのは、現代的な感覚かもしれません。
2曲目は「かえるのうた」ですが、みんなが席に並ぶ前から、待ちきれなくて歌い始める子どもたち。あら、もう始まったちゃった、そんなに好きなのね〜と、先生は微笑ましく受け止めて「ちょっと待ってね」としないで、そのまま気持ちよく1番を歌い終わらせてあげています。それが、バラバラじゃなくて、揃っているからまたすごいですよね。動画のイントロダクションで、散歩中もバギーの中で「はらぺこあおむし」を合唱している場面が出てきますが、結構難しいメロディなのですが、しっかり頭の中で音楽が聞こえていることがよくわかります。
でも、ここでもう一つ注目してあげてほしいのは、このフライングをフライングだと気づいていて、“本当はまだ始まっていないんだけどな”と歌わないで待っている女子が3人いるんです。その子たちがどんな気持ちでいたのかわかりませんが、この子たちの普段の生活から想像するに、たぶん「まあ、いいか、うたわせてあげよう」と思っていたんじゃないかと思えます。これもすごい「関係の発達」です。なぜなら、「じゃあ、いくよ、もうい一回、本番ね」と歌い始めると、さっき歌わずに待っていた子たちも、前奏から手をたたきながら、しっかり歌うからです。
このフライング場面、目立たないから、気付きにくいのですが、子どもの中には、お互いの性格や意図を理解しあっている関係が育っていて、子どもが友達を見守っているのです。そのモデルは、きっと先生の見守る姿からでしょう。子どもの育ちは、大人がやってあげる関係から始まって、自分でできるところは自分でやる、という関係になり、お友達にやってあげる関係になり、そしてお友達にやらせてあげる関係に発展していきます。この4つの「やって」が、やってもらう→自分でやる→やってあげる→やらせてあげる、というように発展していくのです。
先生が「じゃあ、もう一個だけ、歌っちゃおうかなあ」というと、また「アンパンマン、アンパンマン」と声が挙がります。先生が「アンパンマン、いま歌ったから、もういっこ、違うのない?」というと、その状況を見定めているかのように、じっと考えてくれたのでしょう、Fちゃんが「じゃあ」とばかりにかけ寄ってきて先生に「スズムシ」と伝えます。「Fちゃんがね、虫の声だって、みんな、覚えてる?」。そうして、みんなで楽しく歌います。もちろん、その歌い方、楽しみ方はさまざまですけどね。(微笑)
このように、もう一度アンパンマンを歌ってもいいのですが、そうではなく「むしのこえ」という別の歌が選ばれました。ここに「行事」という性格が現れています。どの子にとっても「よりよいと思われるもの」へ、先生によって導かれます。つまり、この歌ならいつも楽しく歌ってきたから誰もが楽しく歌えるだろう、という判断です。「集団の中で個が生かされる」ような歌が支持されていることになります。
そして、毎朝、歌っている朝の歌になります。やっと朝の会の始まりです。名前を呼ぶとみんな楽しそうに返事をします。このとき、子どもたちは度々、席を立って先生のところに立ち寄ります。なぜだと思いますか? 自分に名前があり、それを呼ばれると返事をするということも、考えれてみれば不思議なことです。よくそんなことができるようになりますね。それはきっとこうです。「名前を呼ばれて返事をする」というやりとりは、先生と子どもが心を通わせているからこそ、それをイキイキとした表情で楽しそうにやるのでしょう。
つまり、これは単に出席をとっているのではありません。そうなんです、「は〜い」と手をあげて返事するということと、立って先生のところへ駆け寄ってしまうことと、どちらも先生と心を通わせていることが楽しいからでしょう。その実感が溢れ出して、先生に伝えたいという気持ちが子どもにあるからでしょう。ここにも、子どもと先生の間にある「親密な関係」が、形を変えて現れています。座って「は〜い」をする子、立ち上がってきてタッチをしにくる子。私にはどの子も、同じ親密な感情の発露が形を変えて現れているように見えます。
お行儀よくできることに目を奪われて、それを優先させようとしてはいけません。気持ちのキャッチボールが心地よいという関係になっている方が、心の成長にはいいに決まっているからです。さて、絵本とダンスのことを説明する余裕がなくなってしまいましたが、最後のお仕舞いにする場面では、「もいっかい(やりたい)」という声が聞こえてきました。楽しかったんでしょうね。