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園長の日記

保育におけるブリコラージュ

2019/05/04

■日本保育学会に参加

保育は○○である、と定義することが難しい。それほど意味深い。保育とは実践であり、研究であり、学問であり、人生道でもある。そんなことを1日中考える日でした。千代田区三番町にある大妻女子大学で、日本保育学会があり参加していました。
■保育におけるブリコラージュ
72回目を数える今大会のテーマは「『新しさ』とは何か〜保育におけるブリコラージュの視点」というものです。ブリコラージュと言うフランス語は「いろいろなものを寄せ集めて自分で作る」という意味で、アートの表現技法の1つであるコラージュもフランス語で「貼る」という意味。どちらも「すでにあるものを集めて新たな意味を創り出す」というところが共通です。
■コラージュでできた絵本
たとえばエリック・カールの絵本「はらぺこあおむし」は、見事なコラージュ作品です。保育も、すでにあるものが集まって新たな実践や研究が生まれている創造的な営みです。その「新しさ」を生み出していくプロセスをブリコラージュと言う視点で探求してみようと言うわけです。
私が参加したシンポジウムは「子どもが感じる世界を感じる〜保育における面白さの探求」がテーマで、『確かにそうだなぁと』と腑に落ちたことがありました。それは子どもが「おもしろい」と思うのは、自分が働きかけて変化する対象の世界に、没入しているときです。
たとえば、「ビー玉をおくと勝手に転がり始めて、木のレールを転がり落ちて右から左に、左から右に、行ったり来たりしながら最後はチンと音がしてとまるコト」の世界を、見入ることで探求しています。
■主観としての子どもの姿
その時、子どもによって、気づき心動かされたコトは異なっているはずで、その子なりに意味付けして主観的「世界」を作り出しています。その時、子どもの心で何が起きているのかを、周りにいる私たち保育者は推論するしかないので、その保育者の主観的にみえてくるものを、物語ることになります。自分が見えていると思っている子ども像は、絶対的なものではなく、あくまでも私の主観であると言う相対的なものだと言うことです。
私の見た子どもの姿、同僚の見た子どもの姿、親御さんが思っている子どもの姿は、それぞれの主観です。状況が異なれば、さらに姿は異なります。お互いに語り合ってそれらを集めてみたときに、豊かになっていく子どもの物語があるときしたら、大いにブリコラージュしていきたいものです。(続く)
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