(写真は、今日の子どもクッキング「野菜の型抜き」から)
トイレに自分で行って排泄ができるようになることを排泄の自立、といいます。いわゆる「おむつが外れる」ということです。世の育児雑誌の三大テーマは、昔から食事、トイレ、イヤイヤ期と決まっていて、それだけ親御さんの関心が高い、あるいは困っていることがある、とも言えるのかもしれません。トイレットトレーニングが子育てメディアでは盛んなのですが、トイレの空間に興味を持たせるとか、怖がらないようにするとか、この夏紙パンツに挑戦!だとか、アレコレ、いろんなアイデアが紹介されています。オマルに慣れてから大人用の便器へ、だとか紙オムツよりも布の方が外れやすくなっただとか、情報が多すぎる気がします。
排泄の自立に欠かせないことは、私は次のように伝えてきました。これが排泄の自立の姿だからです。
〜自分で「あ、おしっこ!」と気づき、ちょっと我慢してトイレに行くことができる〜
「あ、うんち!」でも同じですが、この気づいて、我慢できるというところがポイントになります。何に気づくかというと尿意、であり便意というものですが、これに気づけるようになるのは、2歳から3歳と幅があります。サインが脳に届いても、それが便意だという意味になるのにも、知的な発達がある段階にまで育たないと認識できません。さらに「あ、おしっこ」と、したくなってから、トイレに行くまでにある時間がまんできないといけないので、こちらも自分の意思で尿道をふさぐ随意筋を動かすことができるまで、身体的な育ちがなされていないといけません。
他にも色々な身体的な育ち、神経系の育ちなどが相まって、排泄が自立していくようになります。でも、基本はこの二つのことが繋がって初めて排泄が自立できるのです。そしてこの発達には個人差が大きいので、いつはは必ず二つのことが繋がって、ある意味で突然、できるようになります。そうすると、この条件が揃っていない段階で、練習やトレーニングでそれが育つのかというと、それは無理です。知的発達と身体的発達が揃わないと排泄は自立しないので、どっちかができないと難しいということになります。
そこで、この自立の秘訣は、楽観的に待つこと。ただし、保育園の園児は有利です。なぜなら、その「あ、おしっこ」でトイレへ行く、という姿やモデルが周囲にふんだんにあるからです。またオムツをしている状態が普通なので、それに引け目を感じるという空気も皆無です。おむつが早く取れることが良い、と考える文化はありません。オムツはそのこのペースで、必ず取れる。ただそれを信じてあげているだけです。大人が気をつけることは、できもしない時期に無理にさせようとして、子どもにコンプレックスを持たせてしまうこと。できるはずのことが自分はできない、と思い込まされると劣等感から自信が持てなくなります。
食事や排泄は動物も行う自然な営みです。それを上手に、きれいに、という人間社会の文化的営みとしての「しつけ」に格上げしないといけないので、その文化的行為への適応には個人差が生じ、ただ「一人ひとり異なるから、それで良い」で落ち着けはいいのですが、情報化社会は、自分の子どもは遅いのかしら、とか大丈夫だろうか、と無用な心配をさせてしまうような環境になっていることが、困ったものです。
食べたら出る。当たり前です。あとはタイミングを自分で図ってできるようになること。そこにもリズムがあるので、特に大便のリズムは生活の中で作ってあげるようにしましょう。習慣にしてあげると体も意識も楽になりますから。