9日(水)には和泉小学校へ、また11日(金)には千代田小学校へ、この春入学する子どもたちを連れていきました。校長や副校長先生が大歓迎してくださり、小学生たちも待っていてくれました。
私の思いは入学までの心理的な敷居を低くしてあげたい、というものが主だったのですが、小学校へ行くよ、と話した時からワクワクして待っていたようです。
2時間目と3時間目の間の「中休み」の時間に合わせて出かけ、先生や小学生と交流できました。とくに卒園児との再会はお互いに嬉しかったようです。
授業を少しだけ、教室の後ろから見せていだきました。国語や音楽、体育などの「授業」が、こんな感じなのか、と伝わったことでしょう。
やっとこのような訪問ができました。コロナに拒まれていた2年間。もっといろんなことをやりたいと思っても、交流というものは相手が快く思っていただかないと、うまくいくものではありません。ここでも先生同士の思いの共感、心の通いあいというものがベースにあるかどうかが大事だからです。以下は、全て余談です。これからは、もっとこうだったらいいな、という私の振り返りです。
私たちの法人は保育界が「連携・交流・接続」などという言葉で小学校とのつながりを求めるようになる、はるか前から子どもたちを小学校へ連れて行ったり、小学生が保育園に来たりしていました。1979年に開園した省我保育園では、学区でもある八王子市立第十小学校へ出かけ、園児が学校給食を食べさせてもらったりしていました。藤森園長(当時)が地道に創り上げて行った関係です。藤森先生が小学校や保育園で講演をしていたのを、見せてもらうことあり、藤森先生が小学校の先生もやっていたので、学校や教育委員会からの信頼が厚かったからです。
1997年に開園したせいがの森保育園では、八王子市立長池小学校の先生が全員保育園に来て、話し合いをしていました。また近隣の小学校の教頭先生(当時)4人が集まって、総合的学習の時間などに活かせる地域人材の情報を交換していました。小学校がお店屋さんなどを開き園児が遊びに行ったり、小学校のクラブ活動のグループが保育体験に来たりしていました。卒園園児が保育士として戻ってきているほど、子どもたちの生活全般の中に、地域のいろんな人たちが出会い、挨拶を交わし、思いを分かち合い、課題解決を一緒に考えていました。
ことさら、連携だとか交流だとか、上からさせられているという感覚はありません。それぞれの人たちが、自然と「こうだったらいいよね」と考えて動くキーマンが、それぞれの場所にいらしたものです。その結果、保育園の周りには、幼稚園の先生、小中学校の先生、用務員の方、学童の指導員、児童館の遊びのボランティア、保健所の保健師さん、地域で活動する助産師さん、児童民生委員、主任児童委員、とにかくいろんな方が、保育園を出入りしていたものです。出来上がった成果は、自主学童クラブ、子育てひろばの地域運営、発達支援のセンター創設、ファミリーサポートセンターの保育園版、小学校の先生の保育体験、保幼小連絡協議会の立ち上げなどがありました。
人というものは生まれた時から「ジョイントネス」という、人と人がくっつきたがる傾向を持っているという赤ちゃん学の知見があるのですが、それは私にとっては、それは当たり前の感覚です。人間学や人智学に学べば、私たち人間は教育の意図を超えて、そもそも人生が望ましいものを追求するようにできています。その本来や本分を踏み外さないなら、「こうだったらいいのに」が湧き出てくるものです。その感覚を大事にしていきたいものです。