私の姿が見えなくなるまで、親はずっと見ていました。私が振り返ると私の親は手を振っていました。空港での別れの情景です。それが正月だったのか、お盆休みだったのか、きっとどちらでもそうだったのでしょう、田舎と東京を往復するたびに、一時期のことではあるのに、親しい家族と別れることは寂しいものです。同じ寂しさであってもまた、子心と親心は違うのですが、親になってみて初めて気づく自分の親心というものもあります。ウクライナから日本にやってきた家族の離別を伝えるニュースは、別れなければならない理由と心情を思うと居た堪れません。理不尽な仕打ちへの憤りと人生の酷さ。これほどの惨いことがあっていいものか、と。しっかりと手を取り合ったり、抱きしめあったりしてからの「今生の別れ」さえ許されない、突然に襲ってきた離別です。
保育園では、4月に入園した子どもたちの、新しい生活が始まっています。でも朝、親と別れるのはやっぱりつらい。親しい家族と別れたくなくて、そばにいてほしくて、あ〜んと泣いてしまいますね。朝別れる時はちょっと辛くても、保育園の中には優しい先生、同じくらいの子供たち、面白い遊具や楽しい遊び、面白い出来事などがいっぱいあって、そちらに気持ちが移っていくと、楽しそうに過ごしています。親のことを忘れている、というと、なんだか親御さんにしてみると、それはそれで寂しいように聞こえるかもしれませんが、そうやって園生活に慣れていき、どの子にっても、保育園も家庭と同じように、その子の新しい居場所となり、アウェイからホームに変わっていきます。その移りゆきはまた個人差があるので、一様ではないのですが、それでも、だんだんとそうなっていくでしょう。それを信じて、いま、いっときのお互いの辛さをおおらかに受け止めあっていきましょう。
ちょっとちなみに、と言う話ですが、子どもの泣き声というのは、大人にとっては「何をさておき、泣き止ませたいと思う」ようにできているものです。赤ちゃんの泣き声は、お母さん、お父さん、祖父母、他人の大人、の順番にストレス度が高いことがわかっています。赤ちゃんの泣き声は大人とっては、なんとかしてあげないといけない、という大きなストレスになるようにできているのです。泣き声を聞くと大人は心拍数が上がり、アドレナリンも上昇します。
確かに、赤ちゃんの泣き声が、助けてあげなきゃ、という行動を大人が起こさないような声だったとしたら、大人から見過ごされてしまい、生命の保持に必要なケアを受けれないで放置されてしまうかもしれません。あの甲高い、遠くまで聞こえる赤ちゃんの泣き声は、小さい体の割には物凄い大きな音を発していることになるので、大人に比べたら、オペラ歌手3人分ぐらいに相当します。
そのあたりの生物としての生存のために、身につけてきた人間の進化の仕組みを理解していくと、子どもが離別を恐れるのはケアの放置を防ぐ高度な戦略でもあり、その目的を保育園が社会的な親として役割を果たしていくことは、村中の人たちが大家族を形成していた時のように思ってもらえたらいいでしょう。
ちょっと隣の家族に預かってもらっているだけだから、という近所付き合いの感覚でいましょう。そのうち、帰りたくないと言って泣き出すようになるかもしれませんから。まずは親御さんがあまり不安にならないようにして、また夕方ね、それまで楽しく過ごしてね、という気持ちで送り出してあげてください。
また、それとは別に、ちょっと留意していただきたいことがあります。それは保育園に慣れてきても、子どもによっては別れ際の抱っこや挨拶やタッチなど、とても大切なルーティーンになっている子どももいますので、そこは知らない間に園を出ていくということがないようにお願いします。ちょっとしたその数十秒ができずに、その後、しばらくぐずってしまうということもありますので、よろしくお願いします。