「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」。
(内閣府のホームページより)
内閣府のホームページによると「国民の祝日に関する法律」には、今日5月5日の「こどもの日」に、その趣旨がこう書かれています。「国民の祝日」が制定されたのは昭和23年で、「母に感謝する」だけでいいのかな?と思ったりしますが、この部分の法律の趣旨は改正されたことはなく令和4年の今も、この趣旨はそのままです。それはともかく、こどもの日には「こどもの幸福をはかる」だけではなく「こどもの人格を重んじ」ることが明記されていたことを、ご存じでしょうか?
私たち省我会がもっている「見守る保育の三省」(職員の心得・クレド)ににも、子どもは「立派な人格をもった存在」とされています。
1 子どもの存在を丸ごと信じただろうか。
子どもは自ら育とうとする力をもっています。その力を信じ、子どもといえども立派な人格をもった存在として受けいれることによって、見守ることができるのです。
2 子どもに真心をもって接しただろうか。
子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです。
3 子どもを見守ることができただろうか。
子どもを信じ、真心をもつことで、はじめて子どもを見守ることができるのです。
さて、普段はあまり意識しないかもしれませんが、私たちは子育てをしながら、こどもの人格、パーソナリティを視野に入れています。日本政府も子どもの人格を尊び、教育でその完成をめざすのだ、と宣言しているのでした。そして世界は、OECDの考えではあるにしても、望ましい未来からの代理人として主体性をもった子どもの育成に英知を集めよう、と呼びかけているのでした。
そう考えると、人格を大切にしたり、人格の育成をめざしたり、国によっては人格の陶冶を図ったりするために、その方法として社会情動的な側面に光が当たり始めていることになります。たとえば、一昨日紹介した日本の教育基本法の第二条には、昨日紹介したエージェンシーを読み取ることができます。
第2条 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んじるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
昨日に引き続き、白井俊さんの解説です。
「ここで注目したいのが、特に後段の表現である。公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、と書かれているが、これはエージェンシーの理念に重なるものである。すなわち、エージェンシーは、主体的に社会の形成に参画していくことを意味するが、それは単に自分が希望するから、ということではなく、それぞれが属する社会における自らの役割や責任を意識したうえで、一人ひとりが主体的に行動していくことが含意されているからである」(『OECDEducation2030 プロジェクトが描く教育の未来』〜白井俊著・ミネルヴァ書房〜)
子どもが参画することを当園の保育の中に探すなら、「お手伝い保育」がわかりやすいでしょう。子どもの社会は家庭であり、保育園であり、それぞれが属するクラスです。子どもたちなりに、その小さな社会の中で役割を果たし、貢献しています。他にもグループ単位での活動も色々ありますが、そのグループという小さな社会の中で自分が何を期待され、自分の行動をどのように制御し、どうしたらいいのかを考えたり工夫したりしています。そして「お手伝い保育」の自己評価の項目には「小さな子どもの気持ちや考えに気づいたか」というものもあり、社会情動的スキルの育成メソッドが生かされているのです。そしてお集まりなどで振り返ってみて「楽しかった」などの感想が出ることがあるのですが、それが「楽しかった」「面白かった」という個人の希望が達成された感想にとどまらず、「よかった」という言葉が出てくるようになるとしめたものです。「よい」という気づきの中には、自分のことを客観視できるメタ認知が育ち、内容によっては自分のことだけを超えた、社会的な何かが含まれているからです。