さて、ここまでやっと辿り着きました。このミニ連載もゴールが見えてきたからです。どこにゴールがあるのでしょうか? 思い出していただきたい大事なことが2つあります。「今どうして非認知能力だったのか」ということと「よりよい生活とは何か」ということです。その二つの交差点がとりあえずのゴールなりそうです。
まず一つ目は、さまざまな「資質・能力」の中で非認知能力がクローズアップされるようになったきっかけは経済ノーベル賞を受賞したヘックマンの研究に遡ります。20年以上前の話です。それは置いておくとして、世界がここに注目し続けているのはそれが「よい結果」に結びつくことがわかってきたからです。教育界はこれから先の世界を想像しながら、どんな資質や能力(人格特性や能力やスキル)を育むべきなのかを探していたら、これまで中心にやってきた認知的なものもさることながら、非認知的なものがより重要じゃないか、ということになってきたのでした。ポイントは「どっちも必要」ということです。
二つ目は、その「よい結果」ということは「何か」を考えざるを得ず、その時、私が教育哲学を教わった村井実さんの「善さ」の4つの要素を思い出さざるを得ないのです。名著『善さの構造』には、ギリシャ時代の哲学者プラトンやアリストテレスが考えた「よさ」から説き起こしてくるのですが、村井さんと話していた時、何もわかっていない私に「人間はね、どうしてだか何かよいことに向かって生きているよね」という話をしてくださいました。その時は「学力ってなあに」という新聞連載を書いていたので、学力との関係を自宅へお尋ねしに行ったのでした。村井さんの「善」についての教育哲学がなかったら、日本の学校で「子どものよさ」に目を向ける教育は生まれなかったでしょう。
このことが平成29年度に出された「資質・能力」の3本柱では「学びに向かう力、人間性等」の中に位置づきました。どこに「善さ」の話があるかというと、そのかっこ書き( )です。そこにはこう書かれています。
(心情・意欲・態度が育つ中で、いかによりよい生活を営むか。)
これが乳幼児教育から高校まで、ずっと使われます。「よりよい生活」とは何かに立ちかえる必要があるのです。また自分らしい「心情」と、さまざまな人たちと共に生きる「態度」を、しなやかに実現していくために「意欲」が橋渡しのような役目になっているのです。
この「学びに向かう力、人間性等」という不思議なフレーズは、上の方に描かれている二つの認知的な力を支えることになります。