Nくんのお昼寝の選択場面の見通し力について、遠藤利彦先生の非認知能力の分類法を下敷きにしながら「今を優先するか未来を優先するか」という「異なる時点の間の選択」として考えました。これは「自己にかかわる心の性質」の方です。それだけだと、OECDがいう社会情動的スキル(つまり「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」)の半分の要素が育まれていると考えられます。では、もう半分は、育っていないのかというと、そんなこともなさそうです。
Nくんのお昼寝の選択場面の葛藤は、自分だけのことのように見えますが実は「他者とかかわる心の性質」でもあります。どうしてかというと、「他のお友達はこうしているけど、自分はこうする」という判断がみられるからです。Nくんは自分は「寝る」を選択し、他の子たちにも「どれにする?」と聞き回ってくれていたのです。
よく、このことを先生たちは「お友達に引きずられない」「良くないことの影響を受けない」という見方をします。自分は自分だという考えをしっかり持てるかどうか。そうみれば、「他者とかかわる心の性質」も育つ機会になっていることがわかります。
この力は、ダイバーシティー(多様性)を認めて、他者と共生していくための力として、とても重要なものに思えます。異なる考えや価値観、判断結果がなされる人々が身近にいても、それが自然と感じる自己の在り方です。遠藤先生の分類説明は、そのニュアンスが表されていない気がします。もう一度、引用します。
「他者とかかわる心の性質」とは、「集団の中に溶け込み、人との関係を維持していくための力」であり、この中に含まれる非認知的なものは「心の理解能力」「コニュニケーション力」「共感性・思いやり」「協調性・協同性」「道徳性」「規範意識」などである、と。こう説明されています。私が引っかかるのは「集団生活の中に溶け込み」という表現です。異なる他者の、それぞれの「自分らしさ」を受け入れながら、共生していくことは、インクルージョンの概念であって、溶け込むことではありません。「きみは寝ないんだね、でも僕は寝るよ」ということが望ましいインクルージョンのような気がします。ここの違いを、藤森先生は2000年ごろに、すでに「共同体」ではなく「共異体」の創造が必要なのだとして、そのタイトルと本を出版しています。
つまり、OECDの「他者と協力して効果的に働き」のところは、集団の中に溶け込むことではなく、それぞれの生き方が他者を否定しないで認め合えるような尊重の仕方を含む必要があるのでしょう。