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園長の日記

映画「こどもかいぎ」で観てほしいこと

2022/07/23

「保育の意味が、一般の人にも伝わる素敵な映画だなぁと思いました!とってもよかった!」という感想をもらいました。昨日7月22日から始まった映画「こどもかいぎ」を観た方の感想です。この感想はとっても嬉しいものです。「保育の意味」が保育に関係していない方にもよく伝わるなら、これはありがたいことです。

ここに描かれている保育のエピソードの数々には、その「主人公」であるはずの、一人ひとりの子どもにとっての「意味」があります。保育の意味が伝わるというのは、どう言うことなのか、ちょっと考えてみました。この話を明日24日の舞台挨拶の中で語るつもりです。

映画は1年を通じて、普段の毎日の保育風景も描かれています。それはそれで、藤森平司先生が創り上げた普遍的な保育哲学である「MIMAMORU HOIKU」が伝わるようになっているのですが、この映画では、タイトルにもなっているように、子どもたちが輪になって対話を重ねる様子が楽しく描かれています。その「場」で語られる「ことば」は、確かにその子のことばなのですが、私にはそこで発せされていることばの意味(「貸してくれた」)だけの意味ではなく、そのことばが生まれてきた人間関係や過程をセットで捉えることで見えてくる保育の意味の方に、人間の営みやことばの本質を感じるのです。それが、この映画で伝わったらいいな、と私が思う目線です。これを私はあえて「関係の発達」なんだと訴えてきました。

ネタバレになってしまうので、映画の事例を使ってその意味を詳しく書けないのですが、「こどもかいぎ」の言葉は、本来は自分だけでいても決して発されることなかった言葉なはず、であり、本来、ことばがそういうものであることも改めて確認したいいことでもあるのですが、それを含めたその子の全体も「自分」だけでは完結しようのない、「他者」との関係で浮かび上がってくる姿であること、その中のことばであることに、大事なものを確認したいと思うからです。

このような「場」(状況という環境)を想定するデザインが保育なのですが、このことは、やってみて初めて気付かされた環境構成の力でした。そしてこのような場を、もっと社会の中に生み出したい、学校の中にも創っていきたいというムーブメントが、豪田監督を中心に動き始めています。内閣府も厚労省も応援してくれているので、この流れを日本の中で大きくしたいと切に願っています。

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