MENU CLOSE
TEL

園長の日記

赤ちゃんの驚くべき能力とは

2022/08/10

新しい環境になって、「どんな風に過ごしているのかなあ」と1階の乳児たち(0歳児と1歳児のクラス)の様子を見ていたら、運動スペースや絵本、ままごとなどで遊んでいた子どもたちが集まってきます。部屋の模様替えによって、調乳室の前のエリアからベランダ側へ移動した「食事スペース」で、朝のお集まりが始まろうとしていました。

先生が「何歌おうかなあ」とポロロロ〜ンとウクレレの音が響き、子どもたちの気持ちも、集まってきました。その時の一場面がこの写真です。先生の仕草を真似しています。手も体も体も、そして見えないけれども心も、子どもたちの姿がここに映し出されています。ここでちょっと一緒に考えてみてください。この子どもたちの姿から、何を思いつきますか? そして「なぜ」そのような姿になるのか、何か理由を説明できますか?

 

さて、そこでちょっとこの穴埋め問題の文章を考えてみてください。これはある大学で私が作った試験問題の文章です。みなさんだったら、この空欄にどんな言葉を入れますか?授業は保育内容演習「言葉」です。

「なにもできないように見える赤ちゃんは(  1  )のために準備されたと考えられる驚くほどの能力をもって生まれてきます。その中でもとりわけ重視したいのは(  2  )です。これらの能力は、親への愛情の形成やことばの獲得の基盤になります」

用意された選択肢から、ふさわしい語彙を選んでもらうのですが、1の正解は「人との関わり」で、2の正解は「人に対する関心」です。学生たちは全員合格でした。試験問題の文章は教科書の文章の要約なのですが、このことは、保育を始めるにあたって、あるいは教育を考えるにあたって、とても重要な人間の特性を語っているのです。でも、どうでしょうか、なんだか当たり前すぎて、気づきにくいことかもしれません。

でも、よくよく考えてみると、このことは当たり前でもなんでもなくて、不思議なことで、実に「驚くべきこと」だと思いませんか?人間は「人との関わり」なしに生きていくことはできず、その前提となっているのは「人に対する関心」が強いということなんだということ。あくまでも人と関わることが、その子らしさの基本の「ど真ん中」に「ど〜ん」と根付いているものであって、そこを大事にしていかないと、もったいない、ということです。

このことは、この写真の場面に限らず、いろんなところで感じられることです。お友達のやっていること、先生のやっていること、大好きなお家の人がやっていること、そういうことが気になって、僕も私も・・・おんなじようにしたい、なりたい・・・。そんな様子が、クラスブログには微笑ましく、幾つも点描されていますね。それが、とってしまったり押してしまったりにもなってしまうのかもしれません。

この写真の朝のお集まりの場面にしても、集まれている、先生の方を向いている、まとまっている・・・という評価がされがちなのですが、それは二の次、三の次。もっと大事なものが、ちゃんと前提として大切にされているかどうか、そこに保育のプロセスの質が脈打っているのです。

top