GTサミットで話題になったテーマを少し紹介します。当園が実践してきている内容と関連するものを取り上げます。
最近の政府のいろいろな審議会答申は、不確かな将来に備えるための「学び」がどう変わるべきかを、かなり大胆に描いています。今年6月に出された内閣府の「審議のまとめ」は、かなりドラスティックです。それらのキーワードの一つは、中教審が昨年答申した「個別最適な学びと協働的学び」があります。小学校以上の学校での勉強や家庭学習、あるいは地域活動でも、これからこの言葉で表される「学び」が実現できるようにしましょう!というわけです。
とりわけ、学校に限らず、全方位をカバーする内閣府は学校に限らず、学校でも家庭でも地域でも、どこにいても、その子どもにふさわしい学びが成立するようにしましょう、という方針を、明確に打ち出してきました。
このことは、当園が開園したときに、敷地が狭くて園庭はない保育園だけれども、生活を遊びの場を地域にも広げてしまおう、と考えてきたことと、かなり重なってきたなあ、と感じます。
そのことは、<学びや勉強>というところを<子育てや保育>に置き換えてみると、ますますそう思えてきます。子育ては家庭だけで行うものではなく、保育園も子どもにとってのホームになるようにしましょう、と考えてきたこととも一致します。
さらに、子育ては親だけでできるものではなく、いろんな人が子どもに関わることで子どもたちが良く育つというアロ・ペアレンティングという考え方とも調和します。いま取り組んでいることを、政府が「その方向でいいんだよ、もっとやってください」と、後押ししてくれるといいのになあ、と期待してしまいます。
このように、子どもの学力も、学校だけではなく家庭も地域もつながり合って、身につけていけるようにしましょうという時代になりました。それは「塾やお稽古」にとっても、追い風になるのかもしれません。
学校の学びは主に「教科カリキュラム」によって、構造化されているので、おおむね何年生の何学期で何を学ぶかという順序が決まっています。しかし就学前の保育園や幼稚園は、子どもの生活や遊びの中で学んでいく「経験カリキュラム」なので、その子の発達や興味関心、学び方の適性などに合わせて「個別最適な学び」を追求することができます。
さらに、当園のような自発的な生活と遊びは、複数の子どもたちによる話し合いと意思決定につながります。自分の考えや思いを言葉で表現していくためにも、いろんな機会に会話や対話が生まれるような生活を意識しています。
その一つが朝の子どもたちによる「ゾーン決め」「お散歩先の話し合い」「セミバイキングでのいっぱい・ちょっと」「ピーステーブル」「お手伝い保育」・・・などいろいろな場面での「選択と参画」となって現れます。映画「こどもかいぎ」でも、そのようなシーンがいくつも紹介されています。