自分なりにやった判断とその結果が他人に認めてもらえないとき、二つの選択肢の前で人は戸惑います。それまで自分はそのように生きてきたし、それでとやかく言われたことはないから、これまで通りAのやり方を続けよう。これが選択肢A。
もう一つの選択肢Bは、それまで自分がやってきたことではうまくいかないからこそ、その他人が認めてくれないのだと素直に自分自身のあり方を省察してみることです。するとそれまでとは違った気づきが生まれ、歩んでいく視野が見つかるかもしれません。
なんでも認め合う関係というのは、なんでも許し合う関係でもあるかもしれませんが、それだけでは信頼し合う関係には、育っていかないのではないでしょうか。人間性の開発とは、人間関係の発達でもあるからです。
この選択肢AかBかを選べと言われたら、私は迷わずにBを選びます。もし、仮にBの否定(結果的に提案でもあるもの)が自分に合わないと最初からわかっていたとしても、自分の中から出てくる現状維持への惰性に従ってしまうことが、自分で考える道を閉ざすからです。異論があること、他の見方や考え方がより良いものであることを発見できる可能性があるなら、私は選択肢Bを選びます。その思考の結果、やはり最初にやってきたことで良いと判断するなら、それでも結構。同じ結果であっても、その生き方は水と油ほど違うと思います。いったん自分の中を通したものと、最初から拒否したものとでは、結果に対する自分で納得する責任感が違うからです。
今日30日(火)、昨日と今日とでは、子どもたちが違います。昨日がそうだったから、今日もそうなるだろうと考えるかもしれませんが、月曜日と火曜日とでは、子どもの何かが違います。昨日も捕まえたトンボを、今日も捕まえて帰ってきた子どもたちですが、「エンチョーセンセーイっ!」と大きな声で呼ばれて、「お帰りなさい。どうしたの」と玄関へ出ていくと、虫かごにトンボが三匹、逃げだそとうとして、羽をバタバタと音を立てています。かなり大きな音です。
「よく見せて」というと、私の目の前にカゴを突き出して、見せてくれます。三匹のトンボは、それぞれ捕まえた子どもがちがっていて、Sくんが「これはHちゃん、これはRくん」と教えてくれます。するとHちゃんが「私ももちたい!」と、Sくんからカゴを無理やり取り上げようとして、力づくの取り合いになります。
すると、それをみていたRくんは、「逃してあげないとしんじゃうよ」と小さい声でポツリ。彼もカゴを持ちたいのかな?と私は思いましたが、SくんとHちゃんの取り合いが終わっても、トンボのそばに行かないので、本当に逃してあげたいと思っていたようです。そして二人には何度もそう言ってきて、それでも無視され、やらないことがわかっているから、もう諦めている、そんな顔でした。
4〜5歳の、こんな小さいうちから、友達の力関係もわかっている中での、トンボのことを気にかけているRくんの様子に、私は気持ちが動かされませす。このような瞬間は、誰の記憶にも残らないだろうなあ、と思いながら、Rくんの「トンボ、逃してあげないと」という言葉の繰り返しに、「そうだね」と、深く頷いてあげたのでした。わかってほしいという強い気持ちが、呟きにしかならないこともあるんですね。