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園長の日記

知恵としての「資質・能力」は「対話」が鍵になる

2022/09/29

人に何かを説明しようとすると、自分でよくわかっていないことに気づくことができます。考えをまとめることができます。人との関係性が自分を作るのです。人とどんな関係を作るかが、自分作りにもなるのです。対話は自分磨きになります。

例えば、今日も見学に来た保育園の先生と話をしているとき、実習生に「態度」の意味を説明しているとき、そして保護者の方と今後の行事のあり方を語りあっているとき、そして子どもの姿の背景を一緒に考えているとき、自分自身、いろんなことが「わかっていないなあ」「できていないなあ」と気づきます。

その都度、私はいろんなことを「感じたり」「気づいたり」します。そして何かがつながって、一貫性が出てきて見通しが良くなり、いろんな要素の辻褄があって矛盾がなくなり、納得性が高くなると「わかった」と思えるようになります。それでとりあえず、いいだろう、と思えます。そして、ものや出来事が形をなして何かが「できる」と、一通りのあるまとまりのある物語やエピソードとなります。

本当に不思議なことですが、人間はなぜか、赤ちゃんの頃から、こんなことを繰り返しながら生きているように見えます。このようなプロセスの中には、いろんな知識や技能が動いています。

でも、それを動かしているのは、つまり生きて働かせているのは、知識そのものや技能そのものではなく、望ましいもの、よりよきものに向かっている心情や意欲なのです。その心情や意欲が、知識や技能をイキイキしたものに変えていくのです。

ですから、私たちが本当に必要はものは、その知識の量や、うまくできる技能だけではもちろんなく、その活かし方であったり、何がどう大事なのかという判断力、さらには、その判断の根拠となっている価値づけです。また人間性も大事になります。

そして、冒頭に述べたように、他者との対話が考えたり判断したり、どう表現したらいいかを省察する機会になります。思考力や判断力、表現力を磨くのは、そんな時です。

あとえ実際に会わなくても、その対話の相手が自分自身であったり、書物であったり、思い出の中の出来事であったりしても構いません。本質としての対話が生じるものであれば、生ききた人間である必要はないかもしれません。しかし子どもの場合は、真心を持った大人がそばにいる必要があります。

以上のことは、保育所保育指針や幼稚園教育要領が示す「資質・能力」の三つのことなのですが、このような説明をどこにもしてくれないので、その3つの関係をうまく理解できないままになっていることが多いように見受けられます。資質・能力の3つが有機的に機能する時、私たちはそれを「知恵」と呼んできたのです。

いろんな人と話していると、他者との対話は自分の知恵を磨いてくれます。知恵とは、よく生きるために働く動的なものです。方法としての知識に近いかもしれません。知識を素材として活かすものです。

その知恵を今日は子どもに見つけました。子どもは知恵者です。子どもの「知識」は少ないかもしれませんが、大人以上の知恵を発揮することはできるのです。もし資質・能力は大人が高くて子どもが貧しいという前提があるとしたら、それは間違いだと、言っておきたいと思います。

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