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園長の日記

木場公園での鬼ごっこ

2022/10/18

木場公園からの帰りのバスの中で、子どもたちと「♪ありの〜ままの〜」の大合唱になりました。昨日の「日記」を読んだ主任が、かけてくれたのです。

粋なことをと嬉しくなり、思い出しました。この歌の歌詞を初めて聞いたのは2014年のはずですから、もう8年も前、「保育園のテーマソングにしよう」と思ったことを。そして聞きながら、今の子どもたちも、よく知ってるなあ、と驚きました。歌い終わると、すかさず「アナ雪ツーもやって!」と催促されましたが。

うちのような園庭のない都市型の保育園にとって、昨日無藤先生が訪問されているような広い園庭のあるところが、羨ましい、輝いて見えます!★キラリ〜ン★ 私もそういうところに平成の最後の年までいたので、園庭の魅力というものはよくわかります。そこでバスでちょくちょく、子どもたちを連れて広い公園へ出かけます。

バス利用は今月、先週14日の芋掘り遠足に続き2回目です。今日は1歳児クラスから年長さんまで、いきたい子たち37人で出かけました。木場公園は芝生の広場と、多様な遊具が並ぶゾーンがあって、そのどっちも園では体験できないものです。今日は雨上がりの芝生広場を思いっきり駆け回りました。私の担当は、もっぱら鬼ごっこの鬼役でした。

(写真は鬼きめ、をしているところ)

子どもは隅っこと原っぱが好き、という言葉を学生に話すと、最近はポカ〜ンとされることが増えました。確かに原っぱを駆け回る子どもの姿というものを見かけることがなくなりました。子どもは風の子、ともよく言われたものですが、こっちもあまり聞かなくなりました。家の中で遊んでいたら、誰ともなく「子どもは外で遊んでなさい」と言われていたものです。

子どもだけで外へ出すことなんて、危なくてできない時代になりました。そして外遊びの減少で引き合いに出されるデータが「サンマの喪失」で、外遊びの時間、空間、仲間の三つの間、でサンマが消えた、と。園庭というのは、運動、自然との触れ合い、野菜や果物の栽培、開放感などの役割があるのですが(グラウンドにはありません)、このように運動遊びのために、子ども集団が身体的に群れあう空間を保障するための、重要な役割があります。

そこで私が令和から始めたのが「鬼ごっこのある街ちよだ」キャンペーンです。それを区長に提案すると「鬼ごっこする場所がないでしょ」と言われました。その通り。でも公園はあります。校庭もあります。児童遊園もポツリ、ポツリとあります。遊具がなくても遊び込めるものは何か?そう考えた時に閃いたのが「鬼ごっこ」でした。

鬼ごっこ協会の羽崎貴雄さんとの協働が始まりした。鬼ごっこは、とても優れたソフトウェアです。ものがないと遊べない子どもにしたくない。体操やスポーツといった世界に入ると真の創造性が発揮されにくい。しかし鬼ごっこというソフトと空間があれば、おそらくどんな競技スポーツよりも、実り多い身体と精神と社会性が身に付きます。

https://www.onigokko.or.jp

親子運動遊びの会(略して運動会)は、全部親子で鬼ごっこでやりました。今日はその空間を木場公園が提供してくれたわけです。

私との鬼ごっこといえば「園長ライオン」です。私がずっと鬼役なのですが、捕まえたら抱っこして持ち上げ「もぐもぐもぐ、食べました」と言ってゆすります。それが嬉しいんですよね。本当に他愛もない、戯れ遊び鬼ごっこですが、子どもの心と体が本当に嬉しがる要素が詰まっています。楽しくないはずはありません。ライオンの背中に回って触りにくることが、逃げることになっており、小さい子たちにとっての立派な鬼ごっこになっているのです。

この身体的な触れ合い遊び、戯れあそびは、子どもたちの心と体を本来のものにしているように思えて仕方がありません。この欲求は相当たいせつな気がします。戯れ遊び、わらべうた、鬼ごっこの3つは、現代の子どもたちにとって真剣に再評価すべき遊びだと思います。スポーツにはいる前に、乳幼児にはこの遊びをたっぷりと味わわせてあげたいものです。

 

 

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