昨日と今日と、午後の時間に午睡をしない子どもたちと「エルマーのぼうけん」三部作目「エルマーと16ぴきのりゅう」を読んでいました。この活動一つの中に、いかに豊かなものが含まれているか、それこそ説明し出すと、キリがないくらいです。
私の園の保育目標は「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」です。学校をつくりたいと思って教育学の本を整理していると、大抵は3つの要素を大切にしてきたことがわかります。保育界でも昔から「個と集団」の関係は議論されてきたものです。
自分らしさ、と他者のその子らしさをお互いに承認し合う生活とは、どうしたら両立するのかを考えてきたのですが、当園の実践から抽出すると、それは「選択」することと「参画」することがつながっています。そしてその間に大切な「対話」があります。そういう並びが循環しているように見えます。選択、対話、参画です。参画するために、異なる意見や考えが生じたときに、子ども同士の対話が生かされていくのです。
これを含む活動は、プロジェクト的なものになります。目標志向型の生活には、そうした対話が生じやすい。協働的になります。ただ、それぞれに、何かはみ出てくるものがあって、そこに大切なものが含まれていく「スッキリ整理できないもの」も大事です。
私の園では、みんなで作り上げる遊びを通じた生活がベースにあって、だんだん、年中さんや年長さんぐらいになってくると、生活と遊びに中に課題発見や課題解決、知的な探究も含めて、何かを作り上げていく活動などが増えていきます。つくるものは、物でもコトでもあります。
エルマーのぼうけんが年長組の劇になって行ったとき、それも同じような要素が巻き込まれていく渦のように、いろんな学びが発生していきました。年長組は「お泊まり会をもう一度」と願っています。こういうテーマなども、課題解決型でもありながら、何かを作り上げる活動になっていきます。その学びをとめないことが、小学校以降の生活と学びの「かけ橋」なのでしょう。