安易に口を挟まない方がいいと思うことがあります。その子がどんなふうにしたいか工夫したりしているときはなおさらです。例えば、絵を描いているときに、近寄っていくと「みないで!」と言われる時があります。私なんかは、特に評価のまなざしを向けないように意識しているつもりなのですが、それでも、そんなリアクションをもらうときがあります。そういうとき、子どもは、いま自分のやっていること、表わそうとしているものは、まだ満足いくものではなくて、「どうしたらいいのか試行錯誤中だから、私のことそっとしておいて」と言われているように感じます。途中経過への寸評はまっピラごめんよ!というわけです。
この心の動きは、自分が働きかけて変化したその外界と、その結果を自分がそれを受け止めているときに感じている違和感の表明でもありそうです。こうやって子どもは自分との対話を繰り返しながら、自分がやりたいことがどんなことなのか、本当になってほしい変化は何なのかを見つけていくのでしょう。表現には、そんな反応が出てくる発達の段階があって、意図的にこうありたいという願いを伴った探究を伴っているのでしょう。表現の修飾語として「自己」を頭につけた「表現」、つまり「自己表現」と呼べる段階に差し掛かっているとも言えそうです。
そう考えてみれば、自分の内面にずかずかと入り込んでいくような関わりになってしまっていないか、子どもが特に意識的に何かを考えたり、作り出そうとしているときに、私たちはある意味で「真剣に」見ないであげること、も必要なんだろうと思います。いえ、そういうことをやっているんだろうと把握しておくことは必要かもしれません。どんな年齢であろうと「自分づくり」に関わることは「そっとしておく」ことも大事なのでしょう。青年期で、もし表現に関わる仕事を目指している場合なども、自己表現の質が「問われていく仕事」を目指す場合は、丹念で注意深い関わり方が必要になるのかもしれません。