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園長の日記

子どもの経験の総体がカリキュラムである

2022/11/15

教科に分かれたカリキュラムではなく、経験カリキュラムで小学校以降の教育課程を描くことはできないのか。それを実現させている学校に近年、注目が集まっています。例えば「軽井沢風越学園」のホームページを見てみましょう。そこにはこう書かれています。カリキュラムとは「子どもの経験の総体」ですと。そこを引用してみましょう。

<軽井沢風越学園では、3歳から15歳までの12年間の連続性を大切にしたカリキュラムを目指しています。 実体験と抽象、探索と探究、あそびと学び…。それらを行き来しながら、一人ひとりの「自分をつくる」と「自分でつくる」時間を積み重ねます。

わたしたちは、カリキュラムとは「子どもの経験の総体」と捉えています。子どもは授業等の意図された時間の中だけで学んでいるわけではありません。森やライブラリー、ラボなどの環境、活動によって変化する集団、異年齢の子ども同士の関係や日々のスタッフの関わり、たっぷりある昼休み時間でのあそびもカリキュラムです。時には地域の人や専門家に出会いながら、風越学園に集まる人たちと街のようなコミュニティで経験することも、その一つです。>

つまり、学校だけの経験ではなく、地域で過ごす時間も家庭で過ごす時間も、カリキュラムだという考え方なのです。この捉え方は、就学前の保育園の考え方と似ています。「生活の連続性」という言葉で、園生活と家庭生活を連続しているものとして把握し、子どもの経験の総体を捉えようとしてきました。学校の学びは、家庭や地域での学びとつながっているからです。

ところが日本の多くの学校は、そのように考えていません。学校、家庭、地域の三角形はそれぞれの役割があるのだから、学校はその目標達成に専念すればいい、という意識が残っていて、家庭や地域とつながったカリキュラムの構想を企てているところはあまりありません。もし保育園がその延長に学校を作るとしたら、当然ながら経験カリキュラムを採用し、風越学園が行っているような理念を掲げることとなるかもしれません。

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