やはり、このことに触れないわけにはいかないのでしょうか。保育所の職員による虐待問題です。先日9日(金)の午後、近隣の保育園の園長が集まる会合があって、その場に千代田区の子育て推進課長がいらして、この問題に関して各園に「こうしたことがないようにしてほしい」旨の話があり、各園からの現状報告や対策案などの情報交換をしました。内部告発で出てくる事例が、法令違反に相当するものから、研修などで質を高めるべき「不適切な保育」にまで、さらに保育業務の内容や待遇、採用から養成のあり方まで影響が広がっています。
私が最も問題だと思うのは、一人担任(一部、担当生を含む)の態勢です。そこからくる保育をめぐる職員へのプレッシャーです。期待されている子どもの姿にならないのは、自分の力不足だという誤った責任感を生んでしまう風土です。映画「みんなの学校」にも、その構造からくる新任教師の事例が描かれています。周りからの視線や評価が、大人の思う通りにならない子どもに対する強い働きかけや脅迫的な言葉遣いを生みやすいということです。
この話は、見学者と話をしていて、感じることです。こんなふうにゆったりと過ごしたいけど、「どうしてそこで入らないの」と主任や先輩など周りに指摘されるというのです。テキパキとさばく保育や、子どもの動きを流れるようにできる保育が評価されるそうです。いわば子どもを一斉に動かせる力が期待されていて(本人はそう思っていない場合が多いのですが)、子どもの多様性や主体性を尊重する形ではないことからくる、暗黙の圧力です。この話が園同士の間でも、あまり話題にはなりません。なぜなら「それでいい」と信じ込んでいるわけですから。
また外部からも質の高い「保育サービス」を望まれてしまうことから「圧力」となることもあります。集団に入ることを怖がってしまう子どもや、やりたい遊びに熱中していることが「甘え」や「自分勝手」に見え、発達が偏ると勘違いされてしまうことや、自由遊びだけでは物足りない、と感じて何かが上手にできるようになってわかりやすい成果を期待されるようなこともあります。それは親御さんも感じて悩んでおられる場合もあります。
子ども本人の特性や願いはそうではないのに、どうにかして大人の願いに上手に誘導することを賢明にやらなければならない、というプレッシャーです。見学に来られる方々の話を聞いていると、大人が活動を色々用意してさせることが多くて「子どもが自ら環境に関わっていく」ことから始まっていないようです。
このアカウンタビリティを果たすことは、とても難しい。各園だけの力では、この強力な流れに竿さすことは、とても大きなエネルギーが必要です。個人でやろうとすると、その流れに持っていっていかれます。孤立や退職に追い込まれます。組織を上げて取り組む必要があります。職員に精神的な安心感をもたらす保育のあり方を、ずっと考えてきた私たちの研究グループは、この問題を「チーム保育」の充実という方法で提案してきたのです。