新しい年を迎えて、それを寿ぐのは、次のような意味があるように感じます。今日は、そのことをお互いに確認し合う日。2023年の始まりの日。私にとっての年の初めは、こんな気分でありたいと感じます。キャンベルの「神話の力」を読みながら・・・
・・よくぞ捨て去って、またこの地点に戻ってこられましたね、そしてまた飛び立つのですね、この地点から。それはそれは、ありがたき事ですね、謹んであなたの帰還と旅たちを祝しましょう、おめでとう。
別に、こんな大袈裟なことをやっているつもりはないのですが、このようなことが人間の精神が持っている原型(アーキタイプ)らしいのです。捨て去ったものとは、生まれ変わった結果、そこに残されたもので、へびが脱皮した皮のようなものです。その隠喩が表すものは、肉体における新陳代謝の遺物のように、精神にもその抜け殻があったり、あるいは魂が彷徨った小道などがあることでしょう。
誰でもそのようなものを抱え込んだり、残したりしているので、それを感謝を持って返納しにそこへ参じて、また頭をもたげて歩み出そうと決意するような一日。それが人生の節目節目にやってくる祭礼なのでしょう。今日は最も多くの人々が朝早くから、あるいはたった今でも、その最中の方もいらっしゃることでしょう。場所は、どこでもいいのでしょう、神社ではなくても、朝日の風景でも、ビル影から昇る上弦の月を眺めた瞬間であっても。そのような象徴に溢れた場所であれば。
この人生におけるサイクルは、あるいは歳がめぐる循環は、人間が宇宙や自然の円環の中で生きていることを表しているように感じます。子どもが大人になっていく過程に、そのような物語を伝えてくれる愛に満ちた人と出会えることを祈りたいと思います。