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園長の日記

鏡開きと「人間性等」

2023/01/12

子どもの体験というものを「かかわり」の変化、と捉えるとどんな体験であっても、その体験そのものが、よーく考えればプロセスに他ならないことがわかります。かかわりそのものが変化するのです。というよりも、変化しない「かかわり」はないといった方がいいのかもしれません。常に変化しないものは、この世にはないわけだから、そのことを本気でそう思いましょう、というのが実は幼児教育の前提になっている「体験観」なのかもしれません。変化というと、石など物質は変化しないじゃないか、と思うかもしれませんが、物的には動かないように見えても、微細に見れば物理学的に見れば動いているし、時間的にみれば劣化したり摩耗したり風化したりします。そういう物的現象とは別に、ものの「かたち」が、私たち生きのもに、届いてくる像、イメージ、内面に引き起こされる表象といったものが「かかわり」の要素だと考えれば、それはものによって、あるいはこちらのコンディションによって変化します。かかわりは常に変動し、揺れ動き、相互に作用しあっている関係の中にあります。

そんな風に関係やかかわりとして保育を見ると、ものがアフォードしてくるものを、発達によって受け取る子どもにとっての意味の違ってくるだろうし、そこに偶然に起きる出来事にも縁を感じてしまうし、そこに立ち会っている瞬間の空間に厳かさや神秘性を感じてもおかしくありません。もし昨日の鏡開きの後日談があるとするなら、現代あるいは未来における神聖さを探すとするなら、まさに人間性が発揮されている場所になら、どこにでもあるはずなのです。神社やお地蔵さんということではなく、私たち自身の中に、子どもたち自身の中に、あるいはその存在を含めた精神的空間のなかに、それを見出して豊かにしていく営みが保育であるべきなのでしょう、原理的には。仏壇に手を合わせる姿がなくなっても、私たちは人間そのものを見つめるまなざしの中に、それを見出していくことにしましょう。資質・能力には「人間性等」があることを忘れないようにしながら。

 

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