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園長の日記

新しい学校と架け橋

2023/01/16

私たちが保育や教育のあり方を考えるとき、どこに焦点を当てれば冷静で建設的な議論になるのだろうかと、思うことがしょっちゅうありました。そうでない議論に出会うと、私は急速に興味を失ってしまいます。それはそれで大切なことなのですが、学ぶ本人にとっては、脇道の話であり、本人が本当に求めている学びとはずれてしまうように思えるからです。では、どこに焦点を当てるべきなのでしょうか?

私たち人間の学びは、文脈に依存しています。すでに知っている知識は、体験する中で再編集されながら、新しい知識に作り替えるようなことを、私たちは繰り返しています。それは子どもも同じです。すでに知っていることを使わずに、あるいは関連しない形で、何かの知識を学んだとしても、それは自分の関心や問いとは関係のないものとなってしまいがちで、あまり身につかないでしょう。それを覚えておく必要があるまでは暗記できたとしても、大抵は試験があるからとか、入試に出るからとかで覚えていても、その知識を再現させて使う機会(試験や試験のための塾や家庭教師など)がなくなったら、使い物にならないのが普通でしょう。

それは知識そのものがおかしいのではなくて(おかしいのもあるのかもしれませんが)、その人の学びの道筋の中に、必要に迫られて使う知識の獲得の仕方ではないからでしょう。この文脈に依存している知識の身につけ方、世界の取り込み方は、その人がそれまで経験してきたありようと知識などの依存するのでしょうから、その個別の多様な学びの道筋を用意しましょうというのが、本当の個別最適な学びなのでしょう。そうすると、就学前の保育が、そうなっている場合となっていない場合、その中間のどこかにあるとして、できればそうなっている場合を増やしたいのと同じように、小学校以降の学びもそうなっている場合に近づけていく必要があるのでしょう。それを近づけあって、その重なりを多くするようなことが、架け橋なのでしょう。

それをつくることと、私がいま「新しい学校」をつくろうとしていることは重なっています。それができたら、どんな学びになるのかというと、一人ひとりの学びのリズムを保障した冒頭のような、継続的な学びができることになります。そんな学び、つまり学習と教授が展開される学校をつくりたいのです。さて、やることがたくさんあります。用意しなければならないことがたくさんあります。でも、ここから始めるしかないのでしょう。だからやるのです。

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