往還型の学びが必要となるのは、どうしてなのでしょうか? なぜ往ったり還ってたりすることが学びになるのでしょうか。それは、行き先に行くだけの意味があるからでしょう。どこにでも行けばいいということではなく、なぜ「そこ」なのかというと、その人にとっての学びに値する「知」があるからなのでしょう。同じように、子どもが保育園や学校に行くのは、そこに必要な「知」があるからです。
職員にとって、わざわざ出かけるのは、そこにしかないものがあるからで、私が実際に鹿児島へ出かけてみて、確かにそこにしかなかったものは、まさしくそこの人々であり、実践であり、風土であり、自然でした。そこでしか出会えないもの、食べられないもの、味わえないものがあって、それを訪ねては体験してきました。
私はタクシーに乗ったら、必ず運転手さんに、その土地で人気の食べ物や場所を聞きます。観光ガイドとは違った、通のもの、地元の目線でのものを教えてもらえます。そこにこれまで息づいてきただけの価値、大切にされてきただけの価値を発見したいからです。
記念講演で肥後さんは「鹿児島には、Kで始まるものがたくさんあります。黒豚、かるかん、黒糖酒、きびなご、かつお、鰹節、カレー・・Sで始まるものも多いのです。さつまあげ、焼酎、水産加工品、桜島、せこどん・・」と。確かにそうでした。
私たちには珍しいものでも、地元の人にとっては日常品であり、当たり前のようにそこにあるものでしょう。そう考えると逆に、東京のこの地元にも、価値あるものがあって、全国あるいは世界中からそれを発見しに来ているのだと思うと、その価値をしっかりと見極めておきたいという気持ちになります。
桜島にも渡ってみました。日本神話に登場する女神木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)から、その名前になったと言われる桜島ですが、15分おきに行き来するフェリーはたったの大人200円。日常的な交通手段でした。船内のかけうどんは500円です。お土産に「肉味噌」と「かるかん」「西郷せんべい」を買いました。