行事については、きのう最後に書いたことの補足があります。行事が子どもの協同性をはぐくむ機会になっているかどうかという話です。お泊まり会にしても、お楽しみ会にしても、そこでやることに向けて子どもたちが作り上げていく参画の要素といってもいいでしょう。大人が用意した枠組みはあっても、その中で何をどう展開するかは、子どもの意見や創意を反映させながら、ある目的の実現に向けて、できるだけ普段の生活そのものの変化の中で創り上げられていくようにします。
昔からよくあるものにお店屋さんごっこやお化け屋敷づくり、ごっこ遊びから劇遊びへ、といった活動例がよくあるのですが、そういった活動の要点だったことをもっと普段の生活の中に発見し直して、より良い生活を作り出す営みに位置づけ直したいと思います。そういうふうにしていくと、これは行事でこれは行事ではない、といった区分があまり意味を持たなくなるでしょう。あるいは行事と生活が本来の意味でつながるのだと思います。ある活動はある遊びの発展として行事のようになったり、反対にいい意味で「行事らしくない」生活に溶け込んでしまうようなこともあります。
例えば屋上で育てている野菜を普段の給食に取り入れて食べることと、お泊まり会のクッキングで活動が繋がっていったり、田んぼや畑にバスで出かけて農家の人と交流することが連動するとすると、どこからが行事でどこからがそうでないか、などは意味がなくなります。
他にも納涼会の出し物を準備しているうちに子どもが普段遊ぶ教材のストックを増やすことになったりします。よく行事が終わった後も「またやりたい」という声が挙がるようにするのですが、その動悸が日常の活動を豊かにします。折り紙で作った風車が、お祭りの装飾に発展したり、アニメの原理を遊びの中で楽しんでいるうちに、その分野の専門学校との交流に繋がっていくかもしれません。
そう考えていくと、子どもに多様な体験を計画していくとき、日々の遊びの中にある「展開・発展の芽」のようなものを捉えていくことが豊かな活動に繋がっていくものなのでしょう。