アゲハの幼虫がどうしてそんなところ(自分が生まれ育ったみかんの木ではなく、窓の棧や自動ドアの表面)でサナギになったのか、ということについて、もしかすると園の前の街灯のせいかも知れません。そんな仮説を思いついたのは、あるテレビを見たからです。
その番組で、高校生が「セミの幼虫が地面を這って登る木をどうやって決めるのか」を家族総ぐるみで、研究し、有力な仮説として「月の光で木の表面が反射して、ほんやりと明るく見える方へ歩いていく」ことを突き止めたという内容でした。それに気づいたのは、近くに木があるのに、わざわざ遠くまで、かなりの距離を歩いたのがいたからで、その木のそばに公園の街灯が建っていて、その木を明るく照らしていたのです。その分野の研究者もこれまで研究されてなかった新しい発見ではないかと番組の中で説明していました。
こういうことがあるんだ。面白いなぁと思いながら、ふと、保育園のアゲハの幼虫にも同じような錯覚が生じたのかもしれないと気づいたのです。長い進化の中で成立させてきた「行為システム」に人間が作った街灯が影響を与えたのかもしれません。
このことはヒトにも影響しているでしょう。例えば1日の生活リズムや、睡眠サイクル。アゲハに限らず私たちヒトも、都市生活の中では真っ暗な夜と、月夜が照らすほのかな明るさの周期的な変化という環境の中の情報を失ったからです。