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園長の日記

子どもの姿から感じる生きていることのエネルギー

2023/12/11

今日の日記はとても個人的な「感慨」になります。子どもたちと生活している、という言い方ですませてきたものに、ちょっと別の言い方をしたくなった瞬間があったからです。

お昼ご飯を食べている時でした。ある2歳児クラスの子どもがハンバーグのお代わりをしたくて、泣きながら訴えていたのです。でも食べ過ぎるとよくないので、これでおしまいにしようねと、先生が優しく説得していました。このようなことはよくあることで、それ自体が何か新しいことではないのですが、彼を突き動かしているエネルギーの率直なありように、私は感動を覚えたのです。これほどまでに何かを強く望むことが、ある意味で、私たちにできているだろうか?と。

今日は0歳から2歳までの3クラスはそれぞれ散歩や公園に出かけ、午前中は外出していました。その時間、久しぶりに3歳から5歳の幼児3クラスは2階と3階の室内で過ごしています。

その様子が写真と文章で記録され公表されていますが、そこからもある程度伝わってくると思うのですが、子どもたちは実に生き生きと遊んでいます。

ただ、こう「生き生きと遊んでいます」と書くだけでは、今日私に湧き起こった「感慨」を説明しきれないのです。これは例えていうしかないのですが、何かのエネルギーが子どもたちに押し寄せてきていて、そのうねりのような動きの中で子どもたちが、いろんな姿を見せてくれているように感じるのです。まるで大きな波が押し寄せてくる海岸で、その波に上手に乗っているサーファーだったり、その波に逆らって泳いで行こうとしている姿のようにも感じます。波と子供が一体になって生きているといった、ようにです。

いつもの表現をするなら、遊びの名前を羅列することができます。カードゲーム「レシピ」を楽しみ、お家ごっこでパパ役を面白がり、そのアイスクリーム屋さんは、お客さんもアイス作りができ、バトントワラーの発表会から新たなメンバーが加わってバトン作りが始まり、ピアノで弾けるようになった曲を聴いて持ったり、おおきな紙飛行機や大型の船が走っていたりします。

・・・これらの遊びは登園する前まで、誰もこうなると予想されたものではなく、保育園にある環境の中で子どもたちの思い(思いつき)が、ほとんどが偶然のように現れてきたものなのです。

このようなことはこれまでも毎日起きてきたことであって、同じような遊びではあるのですが、担任は今日の日誌に最後にこう書いています。「・・・それぞれの発達にあった環境で、やりたいことにのびのびと取り組んでいた良い時間でした。ごっこあそびは昼食後も遊びが継続されていて、一つのあそびから発展したり深まってきているように感じます。」

こういう遊びをしているのは、間違いなく子どもなのですが、その子どもに発展させ、深めさせているようにさせている大元のもの、その姿にさせているのは、彼らだけでなくその家族も私たちも全ての人間の営み全体のありようが、ここに一つの姿を表しているように思えるのです。

 

生きていることが、このような現象を生じさせているとでもいうのでしょうか、生活しているとか遊んでいるとか、食事をしているとか、ぐっすり寝ているとか、色々な言い方はできるのですが、それらを全部ひっくるめて、私たちはずっと生きていて、ここに生息しているから、このようにあるんだ、ということなのですが。・・このことは、また別の表現で繰り返しお伝えしたくなることになりそうです。

 

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