国が学校で「個別最適な学びと協働的学び」を推進している中で、新しいカリキュラムに挑戦している自治体が話題になっています。いったい、どんな変化が起きているのだろうという関心を持っているのですが、今日16日は朝から文京区にある国立お茶の水女子大附属小学校の授業を参観して、その授業についての協議会にも参加してきました。
1年生が「やさしさってなんだろう?」を何時間もかけて探究していました。助けてあげること、思いやりがあること、困っている人に寄り添うこと、自分ことより人のことを優先する人・・・いろんな考えが出てくるので「面白いなあ、どんなふうに深まっていくのだろう」と見ていたら「教え過ぎるのはだめで、その人が将来何もできなくなる」とか「いや、教えても大丈夫」という一見反対の考えが出てきたところで、次回に持ち越しとなりました。
大人も考え込んでしまうようなことを、子どもたちは自分事としてちゃんと考えていることがわかります。このようなやりとりを聞いていると、自分というものを作っていくプロセスの中に、他者を包摂していくと言うことの実際がこのように目の当たりに行われていることが実感できます。またそのために言葉というものが、いかに大事かということも。そこに教師の繊細な働きもありました。
この話し合いになるまでに、斎藤隆介の「モチモチの木」をずいぶんと丁寧に何時間も読み込んできていました。辞書で言葉を調べたり、友達の意見を聞いたり。その過程は多目的室の後ろにパネル掲示してありました。このような学びのドキュメンテーションのようなものがあると、今日の姿に至っている学びの変化が読み取れてとても面白いものです。
写真撮影は禁止されているので、ここでお見せできないのが残念です。
もう一つ、1年生の教室を覗いてみると、「みがく」という総合的な活動が展開されていました。いくつかのグループに分かれて忍者やダンスや石について、それぞれの目標に向かって「探究」していました。こちらも教室や廊下の壁に1学期からの学びの過程が掲示されており、子どもたちが選んだテーマ(スポーツ、お化け屋敷、旅行、料理・実験、折り紙など)の活動が深まっていったり融合したり、途中で新たに「宇宙」や「石」が発生したりして、活動の流動的な流れが可視化されていました。
教室は可動式の大パネル4枚で仕切られ、教室と廊下の境目の壁はありません。今日のような活動の時間は、テーマごとの机を4つぐらい組み合わせたテーブルが8つほどできていて、それぞれ別の活動をしています。授業の最後は集まってサークル対話をします。司会も子どもに委ねており、学びの共有がなされていました。この時の子どもたちの発言から、どんなところに関心があって何を成し遂げようとしているかが垣間見られました。
大事にしていることは「えらぶ〜自分の学びや生活をつくる」「みつける・しらべる」「サークル対話」などです。個別最適な学びと協働的学びの具体的展開と見ることもできるでしょう。また主体的、対話的で深い学びであるとも。
午後は、井庭崇・慶應義塾大学教授(創造実践学、創造哲学、未来社会学)が「創造性を育むこれからの教師像:ファシリテーターから『ラジエーター』へ」と題して講演され、教育は遠い将来を見定めることに関わっているとして、子どもが主体的に学びをあむには教師も答えのない問いに向かって一緒に「つくる」ことを提案されていました。
この小学校は数年前から新しいカリキュラムを研究してきており、国語や算数といった教科以外の特別活動や総合的学習の時間などを集めて新しい領域「てつがく創造活動」という名前の時間を模索してきています。詳しい説明はできませんが、教育がこのように変わっていく姿を見ると、私たちがやっている就学前の幼児教育を考える上でとても参考になるし、同じ方向を向いていることが確認できてうれしく思いました。
土曜日も開かれていたのですが、金曜だけの参加となりました。ごく一部のことしかわかりませんでしたが、何に向かっているのかという大きな方向性は感じることができました。