保育や教育では時々たとえ話が使われます。当園の子どもたちが先生と一緒に、あるいは時々保護者も交じって、何か忙しそうに活動している様子。いろん音と話し声がしてきて、何が出来上がるのか楽しみな時間と空間。
それを例えるなら、広い厨房で何人かのグループが、いろんな料理を作っている光景に似ているかも?と思うときがあります。それぞれ作っている料理は違っているけど、完成に向けて一生懸命、切ったり、混ぜたり、こねたり、丸めたり、炒めたり、揚げたり、ぐつぐつ煮込んだり、時々、味見なんかして、「もうちょっと、~しよう」だとか、「これをこうしてみたら」だとか、わいくわいガヤガヤ、飽くなき味の探究が展開されているかのような光景。
子ども集団の思い思いの遊びというのは、オリジナル料理を学んでいるカルチャースクールのがやがや感に近い気がしてきました。生徒たちは料理研究家の端くれで、入門者からベテランまでいるのですが、そこは美味しい味の出し方や伝統的な調理法などの知恵が渦巻いていて、結果的に「う~ん美味しい!」というゴールに向かって、語り合いながら料理を創り上げていくアート作品づくりのようなものだからです。
それは別に制作遊びだけのことではなくて、楽器をならしたり、将棋をさしながら「う~ん」と考え込んでいたり、トランポリンで2歳の子が「1,2,3と数えて、にじゅう何、とさんじゅう何を行ったり来たりして、60ぐらい跳んだんだけど、・・37、38」「39!!すごいでしょ!」とか、やってます。
美味しい料理を作るって、大変なことですよね。いろんな知恵とスキルが投入されていますよね。ちょっと味が薄いかな?と感じて塩が足りないと気づいたり、火加減やゆで加減を考えて工夫したり。子どもたちの遊びは楽しくてもっとやりたくて、真剣に学んでいるということがよくわかるのですが、この例え話は、どうでしょうか?